第4章 月神 夜陰のむざね
「私も幼少のみぎり・・・、習い初めの頃は酷かったものだ・・・」
黒死牟が懐かしそうな呟きを漏らした。そして、眼差しを遥か遠くに向けた。
その視線の先には何があるのだろうか。果たして何を思い描いていたのか。キリカには見当もつかない。
「そうなんですか・・・。想像出来ませんが・・・」
キリカは心の中で、全く違う事を考えていた。
(この方は、いったい何歳なのかしら・・・)
何かが引っかかる。キリカは黒死牟の年齢を知らない。聞く機会も無かった。外見から二十代前半だろうと、何となく判断していただけだった。
(聞いてみようかしら・・・)
黒死牟はどんな反応をするのだろうか。快く答えてくれるだろうか、それとも・・・。
「あの、黒死牟様・・・」
「どうした・・・?」
キリカは心の中でかぶりを振った。疑問をぶつけるのは、何故か憚られた。
(聞いては駄目だわ・・・)
喉元まで上がってきた言葉を、疑惑と共に心の奥底に沈めた。
「・・・何でもないです。それより、今日はありがとうございました」
「礼には及ばぬ・・・。分からない所があれば、いつでも聞くがよい・・・」
「はい。ありがとうございます」
代わりに感謝の言葉を伝えた。つとめて明るく。疑念など入り込む隙間も与えないように。
その夜。
一人、文机に向かうキリカの姿があった。辺りには、文字で埋め尽くされた半紙が散らばっていた。
「うーん」
筆を置いたキリカは大きな伸びをした。ぽきぽき、と関節が鳴った。
「今日はこれぐらいにしておこうかな・・・」
刻限は亥の刻の半ばを過ぎていた。文机の上を片付けたキリカは、部屋の灯を落とした。橙色の柔らかな灯りが室内を照らす。
「・・・・・」
ひんやりとした布団に潜り込み、目を閉じる。だが、なかなか眠くならない。何度か寝返りを打ち、眠りの糸を掴もうとしたが、一向に眠気は訪れない。それどころか、刻一刻と目が冴えていく。
(どうしよう、眠れない・・・・)
寝付きは悪くない筈だが、今宵は違った。ずっと、読み書きの練習をしていたせいだろうか。
それとも、あんな事があったせいだろうか。