第4章 月神 夜陰のむざね
「悪ふざけが過ぎたようだ・・・。許せ、キリカ・・・」
「・・・・」
「警戒しているのか・・・。もう何もせぬから此方においで・・・。手習いの続きをしよう・・」
「・・分かりました。・・・約束ですよ」
押し黙っていたキリカが口を開いたのは、しばし後だった。切なそうな声で謝られると此方まで申し訳ない気持ちになってしまう。それに、黒死牟を責めている訳ではない。困らせたい訳でもない。
「分かった・・・。二言はない・・・」
安堵したような表情を浮かべると、黒死牟は「おいで・・・」と、キリカに手を差し伸べた。
キリカは躊躇いがちに手を重ねた。握り返された、その手は滑らかで心地好かった。
「凄いですね」
黒死牟の見事な筆跡に、キリカは感嘆の溜め息を漏らした。
「私にも書けるようになりますか?」
「もちろんだ・・・」
筆を渡されたキリカは、真っ白な和紙に向き合った。黒死牟が用意してくれた手本を見ながら書き写そうとしたが上手くいかない。
緊張のあまり、掌にかいた汗が不快だった。筆が滑り落ちないように力を込めると、手元が狂ってしまった。
「あっ」
ぽたり、と筆から墨が滴り落ちた。黒い染みが、みるみるうちに和紙に広がっていく。
「申し訳ありませんっ」
「落ち着け、キリカ・・・。筆を持つ時はこのように・・・」
そう言って黒死牟はキリカの後ろに座った。キリカに筆を握らせると、己の手を重ねた。二人は必然的に密着して座る形になる。
(えっ・・・)
キリカが驚愕する間もなく、黒死牟は筆を和紙に滑らせた。手本の字を正確に写し取っていく。
「きゃあっ」
突如、キリカが悲鳴をあげた。黒死牟が、ぴたりと筆を止める。
「どうした・・・?」
「どうした、ではありませんっ。さっきから私の耳元に・・・」
怪訝そうな問いかけに、キリカは捲し立てるように答えた。さっきから、ふとした折りに耳元に黒死牟の吐息がかかるのである。
黒死牟はかなり上背が高かった。二人の身長差を考えると、こうなるのは仕方ない事だったが。
(・・・・・)
指の感触が肌に甦ってきた。頬や耳が赤く火照っていく。