第3章 月満ちる夜
「なんて広いお屋敷なの・・」
襷掛け姿のキリカが箒を片手に溜め息をついた。黒死牟にいろいろと助けてもらったお礼にと屋敷内の掃除を始めてみたが、掃除は行き届いており、特にするべき事は見つからなかった。
「黒死牟様、おひとりで掃除をしていらっしゃるのかしら・・」
呟きながら廊下の角を曲がる。置かれている調度品の数々はいずれも年代物であったが、趣味の良さを感じられるものばかりであった。
(壊さないように気を付けないと・・・)
上等な調度の類いを見る度に、キリカの背筋がぴんと伸びる。
(それにしても・・)
屋敷内を漂う空気は昼過ぎにも関わらず、ヒンヤリとしていた。生活感がなく、時が止まっているような気配すらした。
(私が住んでいた所から、そんなに離れていないはずなのに・・・)
近隣の山に高貴な身の上の者が住んでいると聞いた事がなかった。どちらかと言えば、鬼が棲む場所として知られていて、地元の人間は恐れ、近寄らなかった。
(・・・)
キリカが眉をひそめた。ほとんどの部屋は日が差し込まないように、窓は固く閉ざされていた。室内は几帳や屏風を幾重にも巡らせてあり、徹底的に遮断しているようだった。
(少しは空気の入れ換えをした方がいいんだけど・・)
だが、主の許可なくして勝手な事は出来ない。
(ここまで太陽の光を避けていらっしゃるなんて。よほど苦手でいらっしゃるのね・・・。何かご病気なのかしら?それとも・・・)
日の光を嫌う。鬼が棲むという山に一人で屋敷を構える男性。
明らかに常人と何かが違う。
心の中に泡のように生まれた疑問。本能的に違和感を感じ取った。聞いてはいけない、と警鐘が鳴る。
(いえいえ、助けていただいた方に対して失礼だわ・・)
キリカは沸き上がる疑念を振り払うかのように、かぶりを振った。
「さぁっ、お掃除の続きをしないと」
その時。廊下の奥から足音がした。
「黒死牟様」
此方にやってくる黒死牟に、キリカは明るく話しかけた。こうして面と向かっていると、疑念が霧散していくのを感じる。
「起こしてしまいましたか?」
「いや、もう起きる刻限だ。ところで、お前は何をしておった・・?」