第8章 前兆
あれから、馬車の中では穏やかに過ごした。
「俺、勝手に屋敷に上がっていいんさ?」
すみれはディックを屋敷の客間に案内し、テーブル席に座らせる。
「お客様だもの。お祝いしようって、言ったじゃない!…ディックは、ここで待っててね?」
「おー」
すみれは椅子に座った俺を確認すると、ニコッと笑いかけ(地味にドキッとしたさ)、いそいそと部屋を出て行った。
ぱたんっ
*
ディックはキョロキョロと、絢爛豪華な調度品で埋め尽くされた客間を見回す。
すみれは絶対に好まないであろう、無駄に豪華な家具や肖像、絵画達。
すみれの叔父叔母の嗜好なのは、明らかだった。
すみれが俺の誕生日祝いのために、招いてくれた事は素直に嬉しい、が。
倹約家のすみれには似合わない、実用性の低い綺羅びやかなだけの調度品達には招かれていないような気がして、
(なんか、不釣合さね…)
今夜は、叔父様と叔母様も外出中でいないらしい。どうやらここ最近、彼等は不在なことが多いようだ。
ディックは、すみれがお茶会で言われた事を思い出す。
“事業が上手くいってない”
“危ない事業に手を出した”
“家族とは違う、アジア系”ーーーーー
普段交流のない令嬢が、噂を知るくらいだ。
きっと、噂は広く知れ渡っているだろう。
また、ジジイが言っていた事も思い出す。
“この屋敷の出来事を中心に、戦争が起こり得るだろう”ーーーーーーーー
(……きっと、そろそろ、さ。)
本格的に、ジジイの記録が始まる。
ジジイの記録が始まる、ということはーー
ーーーーーーー戦争が、始まる。
戦争が始まったら
(…俺は、すみれと…ーーーーー)
突然、フッ……と、
部屋の照明が弱まり、暗くなった。