第39章 台風一過 後編
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「………それにしても、お二人揃って帝の申し出を辞退なさるとは、本当に欲のないお二人ですね」
空良の事が気になり、廊下で部屋の中の様子を伺っていた俺に、光秀が笑いを堪えながら耳打ちをした。
「ふんっ、あれに欲がないのは今に始まった事ではない」
「それにしては、嬉しそうな顔をしておられますが…」
光秀は俺の緩んだ顔を見てククッと喉を鳴らす。
「……っ、その言葉は余計だ」
「失礼、言い過ぎました」
光秀はまだ喉を鳴らしながら笑いを堪えている。手で覆い隠しているが、それ程に俺の顔は緩んでいるのだろう。
空良が、身分に関係なくありのままの自分で俺の側にいたいと言った言葉に、どうしても顔が緩まずにはいられなかった。
身分の低さゆえに苦しんで、様々な事を諦め涙を流して来たであろう空良が、全ての覚悟を決めて俺の側にいる事を選んだ。その事実に、今すぐにでも飛び出して行って抱きしめてやりたかった。
「これはこれは、あの第六天魔王とまで呼ばれた方のこの様なお顔を拝見できるとは、人生とは何が起こるかわかりませんなぁ」
空良を掻き抱きたい気持ちで疼いていた所に、聞き覚えのある声………
「ふんっ、日饒(にちじょう)貴様、漸く顔を見せたか」
「信長様、ご無沙汰しております」
「こそこそと姑息な真似をしおって。腐ってもマムシの子、坊主となっても変わらんな」
日饒はこの寺の住職で、今は亡き、美濃の斎藤道三の息子だ。此奴とは旧知の仲ゆえ、俺はこの寺を上洛の際の宿所として使っていた。
「信長様、まぁそう目クジラを立てますな、私も、貴方様と岐阜、尾張の間に立たされ複雑な立場なのです。何せ、あの冷徹無比な信長様が女人に骨抜きにされていると尾張の重鎮達が焦っておりましたので.......」
「ふんっ、骨抜きか......、気に入らんが言い得て妙だな。確かに俺の心はもう空良が奪っていったまま、あやつの元に常にある」
「その様ですね」
「日饒、尾張の連中が何と言おうと俺は空良を妻に娶る。文句があるのならこの様な姑息な手を使わず直接安土まで来いとそう伝えておけ」