第39章 台風一過 後編
「私は、帝の親族として厳しく育てられ、何でも出来て当たり前と言われて育ったの。幼い頃はそれこそ、あらゆる教育を受け、年頃になればどの姫よりも優雅で洗練されていなければならなかった」
菖蒲様は、襖の向こうの中庭に目を向けながら話し始めた。
「……はい。その通りに、菖蒲様は本当にお綺麗です」
生まれながらの殿上人である菖蒲様は本当に優雅な身のこなしで、お綺麗で、お世辞でも何でもなく、そんな言葉が自然と口から漏れた。
「綺麗……ね。その言葉を言われるのは決まって嫌味や何か邪な気持ちがある時だと思っていたけど、あなたからの言葉は嫌な気はしないわね」
「菖蒲様……」
「どうせいつかは、帝や朝廷から決められた人の元へ嫁がなければならない。そう人生を諦めていた時に、信長様にお会いしたの。あの美しい面持ちと男らしさに一瞬で心を奪われたし、周りも私と信長様をと動き出していて、つまらないと思っていた人生に陽が差したようで、嬉しかった」
私は、菖蒲様の言葉にただ耳を傾けた。
「あなたの噂も聞こえてはいたけど、そんなものは殿方によくあるいっ時の戯れで、野心のある方ならば、必ず最後は私を選ぶと思っていたのよ。あなたといる信長様を見るまではね……」
私も…信長様が私にかまうのは、いっ時の戯れなのだとずっと思っていた。
「………悔しかったわ。信長様にはあなたしか見えていなくて、あんな、人目も憚らずにあなたを愛おしんで……」
外を見つめながらも、菖蒲様はご自身の着物をギュッと握って気持ちを落ち着かせている様に見えた。
人目を憚らずに与えられる信長様の愛情を受けている私は、本当に日ノ本一の幸せ者だと言わざるをえない。そんな事を考えるだけでも胸がきゅんとしてしまう自分は、とても贅沢者になってしまった様に思えた。
「あなたを心底憎らしいと思ったけれども、あなたがあんな事になるのを望んでいたわけではないわ。ただ、毛利の……あぁ、姫ではなかったわけだけど、毛利から来たあの子をけしかけた責任は感じているわ。あなたを、いいえ、あなたとお腹の子を危険な目に合わせた事、本当にごめんなさい」
菖蒲様は、ゆっくりと深く頭を下げた。
彼女が今日ここに来た理由は謝罪なのだと分かった。