第38章 台風一過 前編
橋を渡ると、満開の桜が俺たちを出迎えた。
「綺麗ですね」
「そうだな」
返答しつつも、見事に咲き誇る満開の桜より、桜を見る空良の姿にどうしても目を奪われてしまう。
「ふっ、もはや重症だな」
「信長様?」
「いや、何でもない」
擽ったい気持ちを隠すように繋いでいない方の手を懐に入れると、何かに触れた。
「そう言えば忘れておった。空良、こちらを向け」
それが何かに気づいた俺は、空良の手を引いて歩みを止めた。
「……はい?」
「空良、これを貴様に返しておく。少しじっとしていろ」
柔らかな奴の髪に、撫子の髪飾りを付けた。
「信長様?」
空良は俺を見つめながら、不思議そうに髪飾りに手をかざす。
「……っ、これっ!」
「貴様の大切な物であろう?」
「……はい。……でも、なぜ信長様が?だってこれは…」
「毛利元就に奪われたのであろう?」
「っ、はい………」
「俺にもよく分からぬが、奴が逃げる際、投げて寄越してきた」
「毛利元就が?」
「貴様がこの髪飾りだけは手放したくないと言っていた。と言ってな」
「…………そう…ですか」
よほど怖い目にあったのか、和らいでいた空良の表情は強張り、ぶるっと体を震わせた。
「大丈夫だ。その毛利元就も、足利義昭も、未だ行方不明のままだが案ずる事はない。奴らは二度と表舞台には出られぬ様手は施してある。貴様にも二度と近づけさせん」
「っ、はい。……でも、様々なものを失ったと思ってましたけど、こうして戻るものもあるんですね」
空良は髪飾りを髪から外すと、大切そうに胸に抱き、再び涙をこぼした。
「戻ったのはこの髪飾りだけじゃない。貴様も、俺たちの子も無事に俺の元へと戻ってきた」
「信長様…」
「空良、貴様が失ったものは確かに大きく、それは取り戻す事はできぬ。だがこれからの貴様の人生には俺がいる。貴様を守り、決して悲しませぬ」
「っ……、はい」
ようやく触れることの出来た空良の辛い胸の内、その辛さも全て受け止め幸せにすると己に誓いながら、俺は愛しい女の涙を拭い抱きしめた。