第38章 台風一過 前編
「っ、信長様の元へ戻りたかったけど、お腹の子を置いて一人では戻れないと、お腹の子だけは何とか助けてほしいと母上にお願いをしたら、分かったと言って、この子を私のお腹の中に戻してくれたんです」
「……そうか。貴様の母には、俺からも礼を言わねばならんな」
「でも、もう二度と会えないって、この子を助けるのにきっと力を使い切ってしまったから、もう夢ですら会うことはできないって……ううっ、待ってと叫んでも……だんだん薄くなって消えてしまって……、私が、無茶なお願いをしたから…最後まで親不孝な娘で………っぅぅ……」
「空良」
本当に、不思議な話だ……
己自身が体験していなければ、例え愛しい者の話でもにわかには信じ難い。
だが空良の話を聞いて、腹の子が生きていると言う事も、空良の深い悲しみも全てに納得がいった。
「貴様は親不孝などではない。貴様の母は、貴様のことを思っているからこそ貴様と子を助けたのだ。これ以上泣けばそれこそ貴様の母が悲しむ」
「っ、はい……。そうですよね……っ」
子か母親か…無情な選択を迫られたその時の奴の気持ちを思うと、胸が締め付けられるが、悲しむだけでは空良の母親も浮かばれぬ。
「空良、この橋を渡るぞ」
「えっ?」
「案ずるな、貴様には俺がいる。腹の子も一緒だ。それにこれは、あの世へと向かう橋ではない。共に渡り、俺たちは俺たちの未来へと進むぞ」
悲しみを乗り越え前に進まねば、二人を助けた甲斐がないというもの。そして、その手助けをし支えるのは俺の役目だ。
「っ………」
不安で揺れる瞳で俺を見た空良は、それでもそっと俺の手を握った。
「ふっ、上出来だ。この手、二度と離さぬし、貴様も離すでない」
「………っ、はい。離しませんっ!」
空良の頬を綺麗な涙が伝う。
その涙はきっと空良の心を少しづつ浄化して行くのだろう。
握られた手を固く握り返し、俺たちは橋を渡った。