第38章 台風一過 前編
目的の桜を見るため鴨川まで来た俺たちは、馬を降りて少しだけ川沿いを歩く事にした。
「歩くのが辛ければ言え。いつでも抱き抱えてやる」
空良不足の俺としてはかなり本気で言ったつもりであったが、
「っ、それだと花見に集中できないので、遠慮しておきます」
即座に断られた。
「…そうか、残念だな」
いささか物足りない……
「向こう側の方が桜が咲いておるな。空良、あの橋を渡るか」
気を取り直し、近くに掛かる橋を指さして空良の手をとった。
「………」
空良は何も言わずに大人しくついて来たが、橋を渡ろうとした途端足を止めた。
「?……如何した?」
「あの、私……、橋は渡れません」
「何故だ?」
「橋は、渡ってはいけないと母上が……」
ぽろっと空良の口からこぼれ出た”母上”の二文字……
その二文字で、俺の中の全ての謎が繋がった。
「……なるほど、…そう言う事か」
「信長様?」
「空良、貴様、…貴様の母に会ったのだな?」
「えっ!?」
俺が問いかけると、空良は驚いて顔を上げた。
「そこで貴様は、”その橋は渡ってはならん”と、そう言われたのであろう?」
「そ、そうです。でもなぜ信長様がその事を?」
空良は戸惑いを隠せないまま俺の問いに答えるが、俺は全てのカラクリが解けた様にモヤが晴れていく。
「俺にも、似た様な経験がある」
「っ、信長様にも?」
「ああ、だから貴様の話を聞いてピンと来た。空良、貴様がそこで見て来た事を知りたい。ゆっくりで良い、俺に話してくれ」
「でも……」
あの世とこの世の境に行ったなどと与太話の様な事、話した所で信じてもらえるとは思ってはいないのだろう。
確かに、何も知らずに聞いていたら笑い飛ばしたやもしれん。だが、俺自身が実際に空良の母にこの命を救われており、確かにあの不思議な場所が存在する事を身をもって知っている。
「何を聞いた所で驚きはせぬ。貴様の全てを受け止める。だから空良、全て吐き出せ」
この機を逃すまいと、空良の両肩を掴み奴を見つめた。
「……私……」
大きな瞳を不安気に揺らしていた空良は、やがて心を決めた様に、話し始めた。