第5章 心の内
結局、運ばれてきた昼餉は手をつけることができず、掌から落ちて床に転がる毒針をじーっと見つめるうちに時間は過ぎて行った。
『今宵決行せよと顕如様は仰せだ。次は失敗するな』
顕如様の元には、信長により大切な人を殺されたり奪われた門徒や信徒がたくさん集っていて、その憎しみや悲しみは信長を殺す事でしか癒せない程に膨らんでいて、私もその一人だった。
ある日突然全てを失った私には、信長を憎む事でしか生きる価値を見出せなかった。
あの夜顕如様に命を助けて頂き、顕如様の住処へと連れて行ってもらい、私も来たるべき日に備え、密偵としての訓練を受けるはずだった。
けれど、私をひと目見るなり蘭丸様が私には無理そうだから、顕如様のお世話役にしましょうと進言して下さり、私はその日から顕如様の身の回りのお世話や訪ねてきた門徒や信徒の方々の取り次ぎなどを行ってきた。
だからこそ、顕如様やその他の方々の無念は誰よりも近くで見てきたし、痛いほど分かっているつもりだ。
顕如様に助けられたこの命、顕如様のために使う事も厭わない。
だからこそ、本能寺の夜も信長にとどめを刺すと言う重大な任務を私に任せて下さり、その事を感謝してもし足りないほどだった。
でも........
考えは、さっきからここから先へ進めない。
両親の仇討ち、顕如様他皆の悲願の達成......
そんなの分かってる!
信長を殺したい。私もずっとそう思ってきた。
簡単だ。この床に転がった針を刺しさえすれば、あの男は死ぬ。
なのに.......
「っ、何で.......こんなに胸が苦しくなるの..........?」
あの男が死ぬと思うと、日々戯れに触れられる唇が熱を持った様に熱くなり、胸は壊れそうなほどに軋む。
でも、私が生きている限り、顕如様は今後も密偵を使って私に毒や武器を渡してくるだろう。
でも私には、信長を殺す事はできない。
殺せぬなら........いっその事自害を......
幸い、目の前に転がっているのは毒針。
これを今、指に刺すだけで私は死ねる。
そーっと、針を拾い上げ指で針を摘んだ。