第4章 吉祥天
「ふー」
秀吉が部屋を去った後、信長は深くため息をついた。
先程光秀から届いた書状によると、あの夜本能寺で信長を空良に襲わせた犯人も、空良の身元も未だ分からないと言うものだった。
本当は、空良と言う名前ではないのか?
いや、そんなはずはない。
本人の口から直接空良と言う名だと聞いたわけではない。だが、あの本能寺の夜、名前を口にした空良は確かに狼狽え名前を呼ぶなと怒りをあらわにした。
それに空良の名前は、他ならぬ空良の母親が教えてくれたものだ。
あの日、本能寺で命を狙われた時、薬を盛られ、死の淵にいた信長は、信じられないが三途の川まで来ていた。
「ほぅ、これ程までに人を殺めた俺でも、三途の川は渡れるのか?」
感心した様に呟き、あちらの世界に渡る橋と、川を眺めていた時、
『その橋を渡ってはいけません!』
女の声が聞こえてきた。
振り返ると、天女かと見まごう程の女人が立っている。
『誰だ貴様?』
『お願いします。娘を、空良を助けて下さい』
質問に答える前に、女は自分の要求を口にした。
『空良?聞かぬ名だが......』
『あの子が間違いを侵す前に、お願いします。空良を助けて下さい』
女は明らかに焦った様子。だが.........
『無理を言うな、俺はどうやら死んだらしい。貴様が俺を元の世に戻せるのなら、考えてやらんこともない』
夢か現か不思議な感覚だが、自分でここから抜け出す事は不可能の様に思われた。
『もちろん、貴方さまをここから下の世にお戻し致します。ですからあの子を、空良を必ず助けて下さい。目覚めた時、貴方さまの目の前に現れる女子が私の大切な娘、空良です。どの様な状況であろうと、必ず助けて下さいませ』
馬鹿馬鹿しいとは思ったが、これ程までに、見目麗しい女人にこれまで会った事はなく、そんな女の言う娘とやらにも興味を惹かれた。
『..............分かった。約束しよう』
『もし、.......もしも、目覚めた時に覚えていたら伝えて下さい。母は............』
最後の女の言葉は聞こえていたが、目覚めた俺の記憶には残らなかった。