第10章 月の姫
『信長様、朝餉の支度ができておりますが、まだ眠られますか?』
心地良い空良の声が聞こえる。
『...... 空良?』
『信長様が寝坊するなんて珍しいですね』
『貴様..........何故ここにおる?』
俺に薬を盛って、逃げたのではないのか?
『どうしたんですか?寝ぼけている信長様も珍しいですね。昨夜も遅くまでお仕事でしたし、余程お疲れなんですね。ふふっ』
鈴を転がしたように笑う空良。
その姿は愛らしくいつまでも見ていたいが.......
『これは.......夢だな.....』
貴様は一度とて、俺をその様に起こした事はない。
『信長様?』
奴はいつも静かに俺の腕から抜け出し、扉を開けると小さな身体いっぱいに朝日を浴びていた。
その姿は真の天女の様で、俺はいつも褥に横たわりながら見惚れていたものだ。
『悪いが、俺は今すぐ起きてやる事がある』
寝ている暇などない。
現実に生きる空良が、今の貴様の様に笑って俺と過ごす日を実現するために.............。
夢の中の愛らしい空良に別れを告げ、ぐるぐると、夢と現実が渦巻く混沌とした闇の中に飛び込んだ。
目を開ければ、そこにはいつもの空間が広がっている。
「.....................やはり夢か..............っ、」
身体が鉛の様に重く、頭がズキズキと痛む。
「本能寺の時よりも多めに盛りおったな」
だが起きれぬわけではない。
大きな呼吸を何度か繰り返して体を落ち着けると、一気に起き上がった。
「っ、..............」
頭痛は、当分止みそうにないな。
起き上がり周りを見渡しても奴は勿論いない。
人に薬を盛っておきながらも、俺に布団を掛けて出て行った奴の律儀さに苦笑いしかない。
完全に、油断していた。
いや、心を奪われていた。
そして今も、心は奴に奪われたままだ。
「御館様、光秀です。急ぎお知らせしたい儀がございます」
「入れ」
朝から光秀がここに来る理由はただ一つ。
「真相を掴んだか?」
「はっ!蘭丸と空良、そして二人の背後にいる者の正体と潜伏先を突き止めました」
光秀は、ニヤリと口角を上げた。