第2章 越後の香りと安土の香り
『その白檀の匂袋。天守には…』
「わかっています。」
あさひはふわっと微笑んだ。
「この匂袋は、天守には持ち込みません。自室に置くだけにします。せっかく頂いたものです。大切にしたいんです。」
『まったく、貴様は…』
呆れたように、しかし可愛いくて仕方がなく許してしまう、といった表情で信長はあさひを見つめる。
秀吉と光秀は、その人間臭くなった信長の姿に安堵した。
「それに、私は… 天守の信長様の香り、好きですから。今は一番安心する香りです。」
『信長様は、沈香ですか?』
そう言うと、政宗が信長に視線を送る。
『あぁ、政務やらで高ぶる気持ちを押さえる時に使う。』
「沈香っていうんですね!」
『沈香は、鎮静効果があるから、戦の前に高ぶる精神を鎮めたり、兜についた汗の香りを脱臭するのにもつかうんだ。疲労回復にも使ったりする。』
家康があさひに解りやすく教え始める。
「そうなんだ。香りで癒しを与えたりするって事はこの時代からあったんだね。」
あさひはにこにこして、話始めた。
「ここに来て初めの頃、不安ばかりだったけれど、天守で囲碁をしたり信長様と過ごすようになって。天守と信長様の香りが馴染んで落ち着くようになってきたんです。
…私の香りは、もう沈香ですから。」
優しく信長に微笑み、周りを見渡す。
『困った姫だ。』
光秀が呟く。
『はぁ、もう帰っていいですか?』
信長の機嫌が落ち着いて来たとわかった家康が帰り支度を始める。
『ところで、敵陣の菓子はどうだったのだ?』
『え、あぁ。』
秀吉が慌てると、政宗が口を開いた。
『旨かったです。』
『ふん、そうか。次は俺の分も残しておけ。』
信長がにやりと笑った。
『明日の軍議も皆遅れるなよ。』
『はっ。』
武将達が頭を下げる。
立ち上がる各々が、あさひの頭を撫で肩を叩き広間を出ていった。
広間は静かになった。
『あさひ、天守へ行くぞ。』
信長の声が響く。
「はい。」
優しく答え、立ち上がるあさひの手を信長は引き寄せた。
『今宵は、俺の香りで溺れて堕ちるがよい。』
意地悪にいやらしく微笑む信長に、あさひは顔を背けるが、小さく頷いた。