第6章 選ばれた理由
(…はぁ? 何言ってんの? この人。)
床上手。
その言葉にそう思うのに、言葉が出てこない。
なんて失礼な事を言うんだろう、そう思うのに。
後ろ楯がないことで、なにも話せない。
『ふっ、所詮その器なら、すぐに正室の空きが出るでしょうな。
では、これにて。あさひ姫様。』
口元がにやりと動いた。
悔しいのに、辛いのに、悲しいのに。
涙がでない。
でも、これだけは嘘じゃない。
あさひは小さな声で、けれど落ち着いた凛とた声で大名を引き留めた。
「お待ちください。」
大名は振り向かずに立ち止まる。
『あさひ様?』
女中が心配そうに見つめる。
「私は確かに、立派な後ろ楯はありません。
ですが、信長様と共に生きることを誓い、許していただきました。
信長様が、私の何を認めていただいたかを気になるのでしたら、この後の宴で直接お聞きください。」
大名は一瞬振り返ると、無表情のまま視線だけを合わせ、桂皮の香りを残して、音もなく去っていった。
「はぁ…」
『あさひ様…』
「うん? 何?」
『流石でございます。』
「え?」
『こんなにも落ち着いていらして…
やはり、信長様や武将様達と普通に接していらっしゃるからですね。』
「結構、ショックだったよ?」
『しょ?』
「あぁ、…痛いとこ突かれたってことかな。悲しいのに、涙がでなくて。」
『あさひ様。』
「まっ、仕方ない。言われて当たり前のところもあるし。次に同じように言われないよう、精進します…
あっ、政宗が一口で食べれる甘味作って届けてくれるんだった。早く行こう?」
『えぇ。御支度も整えましょう。
…あさひ様。
立派な後ろ楯がなくても、信長様に選ばれ、正室として迎えられるのは、全てあさひ様のお人柄です。
私たちにも平等に接していただける姫様などおりません。
私も、いつまでもご一緒致します。
きっと、城の皆も同じです。』
女中があさひの微かに震える手を繋いだ。
「ありがとう。」
あさひの大きな瞳が揺れる。
『さ、行きましょう。』
あさひは手を引かれ歩き出した。
あさひの歩く廊下に面した襖を挟んで、光秀の羽織が揺れていた。