第5章 ー天使の祝福ー
背後に灰崎の気配がなくなったのを感じた黄瀬は大きく息を吐いた。
さすがの黄瀬も今は軽口をたたく程の余裕はない。
とりあえず呼吸を整えて、まずはこの尋常ではない汗を拭いて、失った水分を補給したい。
そう思った矢先だった。
目の前が急に真っ白になったのだ。
ふわりとフローラルな香りがする。
一瞬遅れて、それがタオルであることに気づいた。
どうやら頭の上からスッポリとタオルがかけられたようだ。
汗で濡れた体にタオルの感触が心地良い。
「まずは汗拭いてー、水分とってー、あっ、その前に涼しいところに行こうよー」
そんな声が聞こえてタオルをめくるとニコニコと人懐っこく笑う子がいた。
「えっと…橘さん?」
黄瀬と律は入部したのこそ同時期だが、入部後は2週間かけて三軍から一軍に上がってきた黄瀬にとって律は1マネージャーにしか過ぎず、かかわりはほとんど無く、話したこともなかった。
ただ赤司がよく連れて歩いているのを目にしていたので、他のマネージャーと比べたら特別なのだろうな、くらいの印象だった。
その律がどうしてわざわざ自分に声をかけてくるのかは物凄く不思議であった。
そんなことを考えている間も、律は「今日はあっちのドアのところが風通しいいんだよー」と楽しそうに指さしていた。
そして、「ね、行こうよー」と差し出された小さな手を自然と取ってしまったのは、灰崎に完膚無きまでにやられて凹んでいるからだろうか。
繋いだ手にいくつかある体育館の出入り口の1つに導かれながら、再びため息をつく。
しかし、ドアのところまで来ると先程律が言っていたとおり心地よい風が吹き込んでいて、黄瀬は目を見開いた。
「ホントだ、ここ、風が気持ちいいッス」
独り言のように呟かれた言葉に律は至極嬉しそうな顔をした。
「でしょー?その日によって風向きで変わっちゃうんだけど、今日はすごくいい風だよねー」
そうして出入り口の階段に促されるままに座り、差し出されたスポーツドリンクを飲む。
一気に飲み干し、吸った分の息を大きく吐いた。
再びため息をついた感じになってしまったが、律はどんな反応するだろうか。
なんだか自分の女々しさに嫌気が差した。