第1章 プロローグ ー天使は飛び立つー
その日、律のクラスは調理実習があった。
メニューはサラダとミートソーススパゲティ。
スパゲティを茹でる寸胴にはたっぷりの湯が沸いていて、律が横を通ったときにそれが倒れてきた。
ただそれだけのことだった。
激しい水音と金属が跳ね返る音。
瞬間、辺りには白い湯気が立ちこめて視界が奪われた。
そして律は生まれて初めて喉が裂けるほどの叫び声をあげた。
左足が激痛に包まれている。
始めこそ大きな声をあげたが、それ以降は痛みで息が出来なかった。
周りが騒然とする中、湯気がちり、ようやく状況が露わになる。
制服のスカートから出ている左足は見える範囲で上から下まで色が変わっていた。
赤いところもあるが、ほとんどが白っぽくテラテラとしていた。
重度の熱傷だ。
律は自分の足を見て、一瞬でそう判断した。
昔、病院で同じようなケガで運ばれてきた人を見たことがあった。
足全体にナイフを突きつけられているような激しい痛み。
上手く息が吸えないのに、ひどく吐き気がする。
病院で見たあの患者はこんなに辛い思いをしていたのか、と妙に冷静な自分がいることに律自身が驚いた。
冷静ついでに視界を少し上げると、コンロの横に真っ青な顔をして固まっている同じ部活のクラスメイトが見えた。
きっと彼女が鍋を倒した人物であろう。
その表情は、ここまでひどい事態になるとは想像もしていなかった、と語っていた。
きっと少しだけ熱い思いをさせてやろうと考えていただけで、それがこんな大きな怪我になるなんて思ってもみなかったのだろう。
それを理解した瞬間、律は苦痛で歪む顔を、無理矢理口角を上げて笑おうとした。
「だい、じょうぶ…ちょっとヤケド、しちゃったから…保健室、に」
そう言って立ち上がろうとした律はそのまま意識を失い、床に崩れ落ちた。