第1章 プロローグ ー天使は飛び立つー
それまで部活外で律に起こっていることを知らなかった鉄平も、傷が増えていくことでそれに気づき始めた。
「律、その傷はどうしたんだ?」
『その傷』とはどの傷のことであろうか。
カッターで切れた指先に、足には擦り傷や青あざがあった。
律は今1番痛むのであろう膝の擦り傷に目をやると、やはり笑顔をつくる。
「律、おっちょこちょいだから、いっぱいケガしちゃうんだー」
のほほんとした雰囲気で笑う律に、鉄平はもう笑いかけることはできなかった。
鉄平だって裏も取らずにそのようなことは聞かない。
事前に何人かの1年生を捕まえて、律のクラスでのことにはそれとなく探りを入れていた。
鉄平はその大きな手で律の肩を掴んだ。
そして、自分の方を向かせると自分よりかなり小さい律の目線まで屈み、視線を合わせる。
「律、無理しないでくれ。辛いときは助けを求めていいんだ」
鉄平の瞳はいつもの優しいものではなく、どこか必死な訴えを秘めていた。
いつもと違う鉄平の様子に律は一瞬だけ驚いたように目を開いたが、それでもすぐに笑顔に変わった。
そして、万歳をするように両手を挙げた。
それは律が鉄平に高い高いをせがむときにするジェスチャーだ。
しかし、今の鉄平は楽しく高い高いをしてやれる気分ではなかった。
今は遊んでいる場合ではないことを示すために鉄平は動かない。
それでも律が万歳をし続け、笑顔で「鉄平くん、鉄平くん」と催促されれば、渋々彼女を持ち上げた。
高い高いをしてもらう律はいつものように小さな子どもみたいにはしゃいでいた。