第7章 紫陽花の面影
「お母さん!」
あさひは、がばっと起き上がり叫んだ。
そこは、昨夜寝付いた安土城天守。
見慣れた景色。
天守の襖は開け放たれており、どんよりとした雲が見えた。
隣に寝ていたはずの信長も、政務なのか姿が見えなかった。
「朝、かな。寝坊しちゃった。」
無意識に頬に手を当てると、涙の跡があった。
「支度しなきゃ。」
手でぐいっと涙を拭うと、夜着の上に羽織をはおり、褥を整え天守を後にした。
まだ夢から覚めていないような、ぼうっとした頭の重苦しさを抱えて天守の階段を降りた。
廊下からは、ぽつりぽつりと降りだした雨にあたり色鮮やかになる紫陽花が見えた。
見てはいけない。
なぜか、あさひはそう思った。
俯いたまま、廊下を進む。
もうすぐ自室の襖が見える、そんな時だった。
待ってるから。
懐かしい、あの夢の中の声が聞こえた。
あさひは振り返る。
そこには、居る筈の無い母の姿が見えた。
「お母さん!」
※
その悲痛なあさひの叫び声は、少し離れた広間にで軍議をしていた信長、秀吉、光秀、三成の耳にも届いた。
また、あさひの自室で片付けをしていた咲の耳にも。
『…少し空ける。』
そう言うと信長は、あさひのもとへ向かう。
秀吉、光秀、三成もその後を追った。
咲も同じで、あさひの身を案じ声のする中庭へ向かった。
※
「お母さん!
お母さん、おか…。」
あさひは、裸足のまま紫陽花の咲く中庭に降りていた。
雨も少しだけ強まり、髪がしっとり濡れ始めた。
紫陽花は色濃くなっていた。
見えていたのは幻で。
聞こえていたのは、夢の中の記憶で。
あさひはわかっていても、紫陽花の前から動けず、何かを掴もうと伸ばした手は、紫陽花の花弁をなぞって空を切った。
ドサッ。
あさひはその場に座り込んだ。
「おか、っ。おか、ふっ。はぁ、ふっ…
お母、さ…、んっ。」
信長達と、咲が中庭に着いた時
あさひは紫陽花を前に座り込んで声をあげて泣いていた。
紫陽花に包まれるように。
紫陽花が見せた幻へ、手を伸ばして。