第18章 梅薫る、春恋の風
…御殿で持ち込んだ政務やれないじゃないか。
『そう。知らなかった。』
「ちゃんと来てよ?」
『…わかってる。』
『では、私は手桶を変えて来ます。もうすぐ、夕餉でしょうし。』
『あ、ちょっと待って。』
俺は、立ち上がろうとする湖都に向かい声をかけた。
まさか、俺が声をかけるなんて思ってなかったんだろう。
湖都も、あさひまで驚いて俺を見つめた。…まったく。
『これ、あんたにあげる。』
俺は、風呂敷包みの中から二枚貝に入れた軟膏を手にとって湖都に見せた。
『え…』
『あかぎれの薬。あんたの指先も手のひらもあかぎれで酷い。痛くなかったの、それ?』
『あっ…。あの、この時期はいつもの事でしたので…』
『へぇ。我慢強いんだね。…はい。』
湖都に軟膏を渡す…のに受け取ろうとせず、微動だにしない。
なぜだ。
「こ、湖都ちゃん?」
『さっき、奏信様の診察してた時に、あんたの手が見えて血が滲んでた様に見えた。まだ風も冷たいし水仕事したら滲みるでしょ。床に付く前にでも塗ればいい。』
『…。』
聞こえているのか、いないのか。
軟膏が入った貝殻を見つめたまま、湖都は動かない。
…この子、人形にでもなったのか?そう思っていたらあさひが声をかけた。
「湖都ちゃん?…家康の薬は私も使ってて凄く効くよ。せっかくだから頂いたら?」
『…はぁ。』
小さく頷くけれど、湖都は動かない。
『湖都ちゃん?』
はぁ。なんなんだよ、まったく。
俺は痺れを切らして湖都の手を取り、あかぎれの酷い指先や関節に軟膏を塗り始めた。
「…っ!」
あさひの息づかいが聞こえた。
…俺は、なにをしてるんだ?
只の診察の延長の筈なのに。何故か指先が熱くなるようで。
誤魔化すように俺は湖都に声をかけた。
『奏信様は、飲みこみが悪い割には脱水になってない。こまめに水分取らせてくれてたんでしょ。汗疹もないし、単に側に居ただけじゃなく、ちゃんと世話してた。薬の管理の仕方だって、あんたの判断にしては良く出来てた。その為に出来たあかぎれなら褒美くらいあっていい。
こうやって、少し滲みるけど、特に酷い場所にはぬりこむといい。…はい。』
『…申し訳、ありません。』
『なんで謝るの?褒美だって言ったじゃん。』