第5章 残酷な世界の中で。『竈門炭治郎』「前編」
最初は子供らしく振る舞おうと頑張っていた。
仕草や言葉使い、趣味嗜好に至るまで徹底し、
それ故の幼子らしい我儘で炭治郎を振り回すのは気分が良かった。
私の世話に奔走する炭治郎の困ったような嬉しそうな顔を見るのは案外悪くなかったし、
何よりこの人に愛されていることがよく伝わってきて嬉しかった。
だけど浮かれた気持ちはいつも決まって最後にはドロドロに腐り落ちてしまうように胸の奥に重く沈殿していった。
あの女性が、私を産んだ女性が心底嬉しそうに炭治郎に寄り添い私を見つめてくるからだ。
まるで見せつけられているかのようなその光景を見るのが嫌だった。
身体中の血が沸騰して血管が焼き切れそうな程熱く痛んだ。
小学校に上がる頃にはもう私の心は頑張れなくなっていた。
段々と笑顔が少なくなり素っ気ない態度を取ってしまう私を見て、あの人は
「あれ、反抗期かな?子育ての最初の難関よね!」
と何故か少し嬉しそうに息巻いていた。
炭治郎と似て前向きというか天然というか、憎み切れない人だった。
それがまた私を苦しめた。
穏やかなこの人の心に触れていると自分の心の醜さが際立つようだったから。
私は炭治郎と自分を産んだ女性を父母の名称では呼ばず、
下の名前で呼んでいた。
というのも、幼い私が最初に発した言葉は「ちゃんちお」で、私を産んだ女性は
「いまあなたの名前を呼んだわよね?なんて可愛いの!ほら、ママの名前も呼んでちょうだい」
と幸せそうに自分の名前を言って聞かせてきたからだ。
前世の記憶というものを持ってしまった私にはこのふたりを自分の両親だとは到底思うことが出来なかったのでそれはとても都合が良かった。
もちろんあの時、
彼女の言う通り私は炭治郎の名を呼んだ。恋慕と侮蔑の意を込めて。
きっといまの彼も鼻がいいんだろう。私が名前を呼んだ直後、ほんの僅かに鼻を揺らして泣きそうな顔をしていたから。
泣きたいのはこっちだよ。
竈門さん、と周囲から苗字で呼ばれることがとても苦痛だった。
歯が嫌な音を立てるくらい力んでしまう程に。
だから小学校で出来た友達にはみんなに名前で呼んでもらうようにしている。
これから先もそうするつもりだ。
以前はあんなに焦がれていた愛しい人の姓を、こんな形でもらいたくなんてなかったよ。