第11章 心の鍵を開けるひと【日向翔陽】
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道を歩いていると、どこからか蚊取り線香の匂いが漂う。
私は結局、バレー部の練習を最後まで見学していった。
帰りは翔陽が、マンションまで送ってくれると言うからそれに甘えた。
私は制服、彼は半袖短パン。
夏の空気でしっとり汗ばんだ翔陽の腕が私に当たると、心臓が跳ねる。
「名前の気持ち聞けて、すげぇ嬉しかったよ。ありがとな」
「私こそ……ありがとね」
翔陽は通学に使っている自転車を片手で押しながら、もう片方の手を私と繋いでいてくれた。
翔陽の手も、私の手も、熱い。
気温だけのせいでは無い事は分かっていた。
小さな翔陽の手はイメージと違い、男らしく筋張っていた。
「自転車、押すの大変でしょ?両手使えば?」
「こうしてたい」
横目でチラッと彼を見ると、長い睫毛と優しく細めた目にドキッとする。
いつもとは違う表情。
いつもとは違う2人の空気。
「……なぁ、名前」
「なに?」
「……き、き……キス……しても良い?」
自転車を転がす音が止まって静かになった。
夕方の田舎道で足を止めて、翔陽の目を見て返事をする。
「キス、して。翔陽」
自転車のスタンドを立てる音の後、私の両肩に手を置き顔を近付けてくる。
「……っ」
いつも元気いっぱいで子供みたいな翔陽では無かった。
とても大人びたキスだった。
気を遣いながら、ゆっくりゆっくり重なる唇。
最初は触れていただけの筈が、物足りなそうに私の唇を優しく食んでくる。
お互いの柔らかさを確認するように、唇だけの触れ合いを続けた。
舌を入れてこないキスが、彼らしかった。
「……はぁ」
「ん」
私を心から大切に想ってくれている人のキス。
大人でも無い、子供でも無い彼からの、精一杯の愛情表現。
私とさほど変わりの無い身長のその小さな身体からは、優しくて頼れる大きな「男」を感じた。
「……名前、すき。だいすき」
「私も。翔陽が大好き」
唇を離した後に、白い歯を見せて笑い合う。