第5章 カクテルの名前
「いらっしゃーい、あ、安栖ちゃん」
気怠そうに話すマスターは、一番最初の客のようでいつもより大きめの声で迎えてくれた。
「また、来ちゃいました」
「最近、店覗くだけ覗いて帰ってたでしょ?」
「すみません、あのハンカチの人居るかなって見に来ただけで‥」
「あー!坂木のこと?」
“坂木”って言うんだあの人。苗字が分かって少し嬉しかった。実はもう会えないんじゃないかな?と思っていたから。
「多分、そうだと思います‥坂木さんって言うんですね」
「あいつ、土日しか来れないよ」
「そうなんですか!お仕事忙しい方なんですね‥」
「ってか、もう、敬語辞めな‥こっちが一方的に親近感あるせいで違和感有って‥」
「ご、ごめんなさい‥あの、気をつけます」
「まー‥ゆっくり変えて行こう、奥の個室使いな?坂木にはオレから連絡しておくから」
「ありがとうございます!」
ハンカチを返すことが出来る事が嬉しくて思わず声が大きくなる。
恥ずかしながら、自分から男の人に連絡先を教えた事が初めてだった。安直に来るだろうと思っていた連絡が全く来ない事がショックだった。
個室への扉を引いて開けると、そこにはまたお洒落な空間が広がっていた。
個室用に少し珍しいジャズのジャケットが壁に綺麗に並べられ、広い部屋なのに、茶色の皮張りの2人がけソファー、その上には赤いクッション。テーブルを挟み、ソファーの対になっている1人がけのソファーが2人分のみ置かれている。飲み物や食べ物は扉から運ばれるのか出入り口とは別のカウンターへと繋がるであろう扉が有った。
個室へと足を踏み入れる。扉を閉めてどちらのソファーに座るか悩み手前の1人がけへと腰を下ろした。