第5章 4話
卓上には、ぶりの照り焼きと白飯がある。手をつけている途中だったらしく、ぶりは半分かけていた。
「珍しいですね」
話の主語を、私の視線から冨岡さんは察してくれた。
「ここの料理は美味い、鮭大根意外も」
冨岡さんはなんでもないようにさらりとおっしゃる。美味い、というのは料理を作る人間にとって一番嬉しい言葉なのだ。どこを見ているのかわからなくなるような真っ黒で据わった目から、お世辞を含んでいないということが伝わってきた。
彼の言葉は、優しく私の心に響いてくる。水面に垂らした雫から広がった波紋のように、穏やかであたたかな気持ちが何度も押し寄せてきた。
試してみたくなった、彼の優しさと人となりを。
私は自分の、固くなった指を体の前で擦り合わせながら、照れたような仕草をした。
「私も厨房に立たせていただいていますから、その言葉はすごく嬉しいです……」
「ただ……」と続けると、冨岡さんの視線が私の指に多く注がれたのを感じた。
「すこし、恥ずかしいですね。手が分厚くなってしまって、女性らしくなくなってしまいました……。手のひらも傷だらけで」
言い終え、冨岡さんの反応を伺う。色の薄い唇の端が、少しだけつり上がったかのように見えた。彼は私の目を射抜くように真っ直ぐと見つめると、言った。
「それは良い事だ」
意図をつかみきれず、次の言葉を待つ。周囲の喧騒が掻き消えて、冨岡さんの言葉だけに集中しようとすると耳の奥がしんと熱くなった。言葉を選ぶようにしながら、冨岡さんはゆっくりと続けた。
「綺麗な手より汚い方がいい。それはお前が努力をしているという証なのだから、好きだ」
この方はおそらく、言葉足らずな方なのだ。努力をしている証と好きだの間にはおそらくいくつか言葉が入るのだろうが、彼はそれを省いてしまう方なのだろう。まだ、浅い付き合いだけれどそれだけはわかった。
会話の足並みを彼と合わせるのは難しいだろう。期待してしまうようなことは、辛いから聞きたくない。もう話題を変えてしまおうと、彼の半分ほどにまで減った湯のみに手を伸ばした。
お茶を注ぐと、彼に渡そうとした。湯のみの半分だけを私は持っていたから、彼も空いている方の半分を持って受け取ってくれれば良かった。しかし、彼は私の手を包み込むようにして、湯のみを受け取った。