第5章 4話
厨房に立つようになってから、潤いがあって綺麗だった私の手は別人のもののようになってしまった。荒れて乾燥した手に、火傷の跡や包丁で切った傷が残る。けれど、手が荒れるのにつれて、お父さまが私に任せてくれる料理が増えるようになった。
やはり綺麗な手といったら女性らしさの象徴だから、冨岡さんは気になさるかしら、という悩みをその頃の私は抱えていた。
恥ずかしかったのだ。彼の女性の好みは存じ上げないけれど、自分の弱いところを見せるのはいけないと思っていた。一度気になり出すと止まらないもので、冨岡さんがお店にいらっしゃっても私は接客をせずに、厨房に籠る日々が続いた。
ある日の調理中、お父さまが私にこうおっしゃった。
「お前、髪の長いちょっと無愛想なお客さん、知らないか?」
すぐに冨岡さんのことをいっているのだとわかり頷いた。
「その人が、お前がなんで最近店先に立たないのか聞いてきたからなぁ、なにか失礼なことをしてないだろうね?」
失礼なこともなにも、最近は顔を合わせていないものだから心当たりがない。私は首を横に振る。作業に戻ろうとまた手を動かし始めると、お父さまが思い出したかのように、そうだと声を上げた。
「さっき厠に行った時そのお客さん来てるの見えたから、挨拶してきたらどうだ? 何か用があるのかもしれねぇし」
会いたくないわけではない、決して。むしろお話はしたいし、少しでも接点はもっていたい。けれどもこの手が邪魔をする。ひび割れていて醜い手なのだ。
私は嫌がり、厨房に留まろうとしたけれど、お父さまは私の背中を強引に押して厨房から追い出した。久々に見渡す店内は、少しだけ広い。
「あの、冨岡さん」
声をかけると、冨岡さんはおもむろに振り向いた。冨岡さんは座ったまま私を体を向け、上目遣いで私の目を見つめた。
「あぁ」と簡潔に冨岡さんは相槌を打つ。とりあえず挨拶をするべきかと「お久しぶりです」と固い声のまま言うと、冨岡さんは会釈だけを返した。
あんなに会うのを渋っていたというのに、いざ顔を合わせたら喜びが勝り、頬が緩みそうになる。なんとかそれを隠そうと苦心していると、冨岡さんが珍しく鮭大根以外を召し上がっているということに気がついた。