第13章 12話
私はしばらくの間、義勇さんのお世話をするために義勇さんの家に通うことに決めた。ここ何年もお店の手伝いを欠かしたことはなかったから、お父さまに打ち明けたときは随分と驚かれたけれど、お父さまは深く追及せずに快く了承をくれた。
お世話といっても医療の知識もない私にできることは、温かいタオルを用意したり食事を作ったり、着替えの手助けをする程度だった。しかし義勇さんは私が彼に何かをする度に、
怪我をする前とは別人のような、柔らかく気の抜けた微笑みを見せた。
ある昼、一人では届かないからと義勇さんの背中を拭いていると、義勇さんは呟くように言った。
「鮭大根が食べたい……」
え? と聞き返すと、彼は「お前の作ったものを食べたい」とおっしゃった。タオル越しに伝わってくる胸郭の振動が、私の喜びを増幅させるかのようだった。
私は転がり込むような勢いで厨房に向かうと、手早く鮭大根を作った。義勇さんの好物の鮭大根は、私が人生で一番多く作った料理だから、もう目を瞑ったままでも作れる気がする。
鮭を煮込みながら汁物を作っていると、背後でかたりと物音がして振り向いた。義勇さんが土間の入口に立っている。「どうかしましたか?」と尋ねると、義勇さんは「見ていてもいいか」と言って、柱にもたれ私の挙動を注視した。
どちらも口を開かないから、窯の中で炎がはじける音、蒸気で蓋が揺れ鍋と擦れる音が狭い空間に響いていた。「あのう」と私は声をかけた。
「そんなに見られていると作りづらくて……」
「すまない」と義勇さんは謝るが、視線を外す気配はない。
「まだ時間はかかりますし、お身体に障るから、寝ていてください」
「大丈夫だ」
取り付く島ない様子に説得を諦める。次に口を開いたのは彼からだった。
「やはり手慣れているな」
それはもちろん、あなたの周囲の女性の中で一番上手に作れるように、練習したんです。これなら嫁に迎えてもいいんじゃないかって、あなたに万が一にでも思ってもらえるように。
胸の内を言葉には出さずに、私はただ「ありがとうございます」と返した。彼は息を漏らし小さな声で笑った。しばらくどちらも声を出さないでいると、出汁と味噌の匂いが静寂の空間に充満した。
「そろそろできるな」そう言うと、義勇さんは二人分の器と箸を持って土間を出ていった。