第3章 2話
いたたまれなくなって、「手拭いは気にしなくていいですから、拭いてくださいね」と半ば強引に押し付けると、逃げるようにその場を去った。
厨房に転がり込むように戻ると、魚を捌いていたお父さまに声をかけられる。
「おぉい、顔が赤いけどなにがあった」
「なにも」とだけ大雑把に答え、また自分の仕事を始める。菜箸で魚の頭を持つと、濁った目にぼんやりと呆けた顔の私が見えた。
初めて会話をしてしまった、あんな態度をとられてしまったけれど。あんな距離に近づかれてしまった。耳元に息がかかってしまうほどの距離。
ほとんど話したこともないから、どこが好きと聞かれてもきっと答えられないだろうけれど、この恥ずかしいくらい舞い上がってしまう気持ちは本当だろうと思った。
頭の奥で何かが渦巻いている。どこか遠くへ飛んでいってしまいそう。
二
彼に無理やり手ぬぐいを押し付けてから五日ほど経ち、彼はまた私の店を訪れた。あんなことをしてしまった後だという気恥しさとは裏腹に、羽織の柄を忘れかけないうちにまたお目にかかれたことを喜んでいる私もいた。
彼は私の姿を確認すると、本当に小さく会釈をした。注文してから食べ終えるまで、いつも大人しく控えめな方だが、彼は挨拶すらも静かだった。給仕という立場も忘れ、こちらも会釈を返す。
彼は真っ直ぐとこちらへ向かってきた。そして懐から何かを取り出すと、おもむろに「新しいものだ」とおっしゃった。
「新しい? あら、手ぬぐいですか。なんだか申し訳ないです、わざわざ」
人目見ても高価なものだとわかる生地だったから、受け取れませんと遠慮をしようとした。私が受け取らないでいると、彼は無表情のまま手を突き出してくる。
「受け取れませんよ、あの手ぬぐいはもともと私が無理やり押し付けたものですもの。それにお客さん、ご贔屓にしてくださってるから、それだけで十分……」
それだけで十分。自分の言葉の裏に隠されている意味には気が付かない振りをした。受け取れません、と再度告げるけれど彼は聞く耳をもたない。存外強情な方なのだろうか。
「じ、じゃあ」と出した代替案は、自分にしか得がないものだった。
「お名前をうかがってもよろしいですか……? こんな頻繁に来てくださっているから……、今度会ったときご挨拶したいですもの」