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わらべ歌【冨岡義勇】

第9章 8話


煉獄さんと食事に出かけた日、急に雨に降られた時があった。煉獄さんは傘を持っていて、私の腕を引いて、中に入れてくれた。

濡れてしまうから送ろう。入っていきなさい。

煉獄さんは年上らしく、私に言った。

傘は彼が持ってくれた。水たまりを避けるように歩いてくれた。家の前について、お礼を告げて別れる時、煉獄さんの肩がしっとりと濡れていることに気がついた。私の肩は全く濡れていなかった。

あとでこっそりと謝ると、煉獄さんはなんでもないように優しく微笑んだ。その笑顔からは、いままでの交際経験の多さが感じ取れた。当たり前だ、彼は煉獄家の長男なのだから。その時私は、頭が芯からゆっくりと冷えていく感覚を覚えた。

煉獄さんは優しいけれど、とても良い友人で、大好きだけれど、愛しくはない。

煉獄さんには、あの頭を撫でたくなるような、目を瞑るとまなうらに、知りもしないはずの過去が思い浮かぶような、暴力的な愛しさは、生まれない。その日に気がついてしまったのだ。

私は、義勇さんならどうだっただろうと考えた。彼は、きっとまず傘を忘れてしまうだろう。万が一持っていたとしても、私の肩も一緒に濡らしてしまうだろう。

煉獄さんは、至近距離で静止したまま私の思考がまとまるのを待っていてくれた。こんなところまで、優しい。誕生日の日、待ってといっても口付けをしてきた義勇さんとは違うと思った。

義勇さんに、煉獄さんと同じ質の優しさがあったらどれだけ良かったろう、と思う時がある。けれど、もしそうだったとしたら私は義勇さんを好きにはならなかっただろう。

「煉獄さん」名前を呼んだ。煉獄さんは、うん? と穏やかな調子で返した。

「煉獄さんはひとを、殺したいくらいと思ったくらい、すきになったこと、ありますか?」

ひとつひとつ、言葉を区切りながら尋ねた。区切る度に、じぃじぃ鳴く虫の声が、大きくなった気がした。しばらく、彼は何も言わなかった。じぃじぃ、じぃじぃと虫の大合唱が始まる。虫は先程から鳴いてはいたけれど、考え事をしていたから耳に入らなかっただけかもしれない、とも思えた。

煉獄さんは、鳩が豆鉄砲をくらったように、丸い瞳をさらに丸くさせた。月明かりに照らされて、きらきらとそれは光る。彼はしばらくすると、後ろにそっくり返りそうな勢いで笑い始めた。静かだった縁側に煉獄の声が響いた。
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