第5章 御都合ライアー!【トレイ】
キスを終えたヒカルがぼーっとしている間にも、物事は進んでいく。
保健室の扉が開き、顔を覗かせたのは事件が起きた授業を担当していたクルーウェル。
「ああ、よかった。目覚めていたか。どこか調子が悪いところはあるか? 頭はまだ痛むか?」
白と黒のファーコートをなびかせてヒカルに近寄り、顔を覗き込んでくる彼は息を呑むほどの美貌の持ち主。
けれどもヒカルの意識は、クルーウェルの美貌よりも、今しがたまで与えられていたトレイとのキスに囚われていた。
「……顔が赤いな。熱が出たのか?」
「い、いや、熱はない…けど……。」
「けど? 他にどこか不調が?」
我が身に起きた不運を説明したくても、吸われた舌が甘く痺れて思うように動かせない。
そんなヒカルを察し、代わりにトレイが事情を話す。
「先生、どうやらヒカルさんは事故の衝撃で記憶を失ってしまったようです。」
「……なんだと? 詳しく話せ、仔犬。」
常に教鞭を片手に持ち、厳しく生徒を躾けるクルーウェルは、教え子たちを“仔犬”と呼ぶ。
生徒は犬ではないけれど、それに異を唱える者はいない。
生徒だけでなく、教師すらもアクが強い者ばかり。
それが、ナイトレイブンカレッジの特徴である。
「――というわけで、恐らく三ヶ月ほどの記憶を失っているみたいなんです。」
「What the hell! 俺の授業でこんな不始末が起きるとは、なんてザマだ!」
ぴしゃり!とクルーウェルが自分の手のひらを鞭打ち、痛そうな音が響いてヒカルの肩が跳ねた。
「……すまん。本当に、なんと詫びたらいいのか。」
ヒカルの怯えを記憶を失ったことに対する反応だと勘違いしたクルーウェルは、白と黒の髪を揺らしながら深々と頭を下げた。
クルーウェルが誰かに頭を下げる姿など、ゲームでも現実でも見たことがない。
「いや、えぇっと、クルーウェル先生が謝ることじゃないから……。」
これは不幸な事故。
ゲームにありがちな、ご都合的な事故である。