第5章 御都合ライアー!【トレイ】
ヒカルが失ったものは、ヒカルが手離したかったもの。
どうすればいいのかと悩んだ夜もあったし、自暴自棄になりかけた時期もあった。
が、いざ失ってみると、こんなにも空振りな気持ちになるとは思わなかった。
「……どうした? そんなに不満だったのか? 俺と、そういう関係になるのが。」
「そうじゃ、ないけど。」
ただ、衝撃だっただけ。
言い訳のような理由を口に出したら、至近距離に迫ったトレイが破顔した。
「そうか。なら、よかった。」
18歳と思えぬ大人っぽい笑みを浮かべたトレイは、いかにも慣れた様子でヒカルに唇を寄せ、ごく自然な仕草でキスを奪った。
薄く、形の良い唇が触れたのが何度目なのか、やはりヒカルは覚えていない。
頭だけでなく、身体さえも覚えていないらしく、甘い口づけに心臓が速足で駆け出した。
「顔が、真っ赤だ。」
「あ、う……。」
年上らしい余裕なんて微塵も見せられず、気の利いた言葉さえも紡げず口をはくはくさせる。
「大丈夫だ。俺のことを覚えていなくても、何度だって好きにさせてみせるから。」
腰を抱いた腕に力がこもり、ぎゅっと身体が密着する。
言葉を発せぬ顎を捉え、未だ動揺し続ける恋人の唇をトレイは今度こそ深く塞いだ。
「ん……ッ」
抵抗もできないヒカルの唇を割り開き、ぬめった長い舌が勝手知ったるとばかりに狭い口内に忍び込む。
感覚的には久しぶりキスに身を固くするヒカルを宥めるように、優しく、甘く、熱い舌が這いずる。
時折絡みついては舌を柔く吸われ、ぴちゅりと卑猥な音が生まれた。
激しいとは言えない、けれどあまりにも官能的な恋人のキスに、ヒカルの頭はたちまち沸騰した。
瞳を潤ませ、小さく震えたヒカルの姿は、飢えた野獣にとっては絶好の標的だったであろう。
しかし、トレイは獲物に牙を向けるような真似をしなかった。
それはトレイが我慢強く節度を保つ男だから……というわけではなく、単に時間切れだったのだ。
遠くからカツカツと革靴が床を打つ音が聞こえると、名残惜しそうな顔をしてから唇が離された。