第3章 気分屋フィクル!【フロイド】
フロイドのペースに乗せられてはいけない。
ヒカルは努めて冷静に声を出したが、長身の男に背後から迫られ、絞り出た声は僅かに震えていた。
「いいから……、離して。」
「あれ、もしかして怯えてる? オレのこと、怖い? びくびくしちゃって小エビみたいだね?」
“小エビ”というワードに、ヒカルは過敏に反応した。
まさかとは思うが、その名前で呼ばないだろうな?
「小エビ、小エビちゃん……。いいね、小エビちゃんにしよう。」
「……絶対にやめて。」
今度ははっきりと、強めの口調で拒絶した。
フロイドは他者に対して海洋生物に因んだあだ名をつけるのが好きで、カニやアザラシ、金魚やウニ、ラッコといった名前でみんなを呼ぶ。
命名するフロイドの独特なセンスで決められるのだが、たった今口にした“小エビちゃん”は、原作でフロイドが監督生であるユウを呼ぶ時に使う名前。
ヒカルは監督生でも主人公でもないので、その名前を付けられるのは問題だらけだ。
「人間のメスって、ふにゃふにゃしてて柔らかいねぇ。海の中じゃメスの方が強い個体が多いんだけど、なんで人間はそうじゃねーの?」
「知らないよ……ッ。そんなの、神様にでも聞いて。」
「なにそれー。ジェイドだったら、ちゃんと教えてくれるよ?」
だったらジェイドに聞いてほしい。
生物学について延々語る知識も気力も、今のヒカルには皆無である。
「ねーねー、小エビちゃん。」
「だから……、小エビって呼ばないで! ていうか、腕が本当に痛い!」
掴まれた腕はいつの間にか後ろに回されていて、よくある刑事ドラマの犯人確保シーンみたいな体勢になっている。
もう片方の腕をソファーの背もたれに突いてなんとか体勢を保っているが、そろそろ限界だ。
それなのに、当のフロイドはヒカルの苦痛を気にする様子もなく、呑気に質問を重ねる。
「オレ、ちょっと知りたいことがあるんだけど。」
「なに!?」
質問があるなら早く言ってくれ。
でないと、ヒカルの腕がありえない方向に曲がってしまう。
だが、のちにヒカルは思う。
あんな質問をされるくらいなら、腕が折れた方がマシだったと。