第12章 泡と幻
川の流れに感覚のなくなった脚がすくわれ、あさひが倒れ始めた瞬間だった。
腕を捕まれて、ぐっと引き寄せられた。
(あ、信長様…。きっと夢なんだな。)
『あさひ、何をしておるのだ!』
「消える前に、幻でも会えて良かった。」
虚ろなあさひの瞳から涙が流れ、信長の頬を撫でようとした。
『幻ではない! ならぬ!
お前の命は、俺のものだと話しただろう!』
「ありがとう、信長様。愛していました。」
『あさひ!』
「幸せに、なってください…」
信長の頬を撫でようとしたあさひの手は空を切り、そのままがっくりとうなだれると、意識を手放した。
『あさひーっ!!』
追いかけてきた政宗が青ざめながら、信長を呼ぶ。
『早く此方へ! お二人とも流されてしまう!』
我を取り戻した信長は、政宗の方に向きなおし、素早く川岸へあさひを抱きながら進む。
『俺に構うな、得意の早駆けで、早く家康の待つ城へ連れていけ。』
『御意!』
政宗は、自分の羽織であさひをくるみ、素早く抱き寄せて馬に乗り込んだ。
『おい、いるか。政宗より先に城へ戻り状況を秀吉に話せ。すぐに手当てが必要だ。』
光秀は、あさひにつけていた忍びに聞こえるように指示を出した。
政宗の馬が走り出す。
ぐっしょりと腰まで濡れた信長が、立ち尽くしてそれを見送る。
少しの静寂の後、信長はポツリと話す。
『…光秀、絡まった糸は直せるのか?
俺はあさひをまた抱き締めて、笑顔を愛でることができるのか?』
『城には、秀吉、三成、家康もいます。あさひを死なせるなど愚の骨頂。
其よりも、信長様。貴方様がしっかりしていただけなければ。あさひを泣かせたと、川に身を投げようとしたなどと知れれば、上杉は黙っておりませぬ。
安土は、今、貴方様とあさひにかかっておるのです。』
『光秀、貴様、口が更に上手くなったな。』
『信長様の左腕ですから。』
ふっ、と信長が微かに笑う。
『…戻る!』
『はっ。』
信長と光秀は颯爽と馬に跨がり、光秀はあさひの乗っていた馬を引きながら城へ向かった。