第9章 噂と誤算
昼間の曇り空と同じように、安土の夜空は雲が立ち込めていた。夜着に着替えたあさひが、天守の灯籠に灯をともす。
『あさひ。』
「…はい。」
『天守で秀吉や三成、家康と話した後、今日は何をしていた?』
「着物を仕立てておりました。」
『そうか。』
いつもならあさひの軽やかな笑い声で、曇り空も晴れてしまいそうなのに、その夜は静かだ。
『あさひ。何かあったのか?』
「え、…いえ、何も。」
『そうか。』
また静寂が訪れる。
いつもなら、間近に感じる心さえも離れているようだった。
『六日後の使いの件、急ですまなかったな。』
「大丈夫です。」
『使いに出る日に着る着物や簪、明日城下に見に行かないか。』
「…着るものも髪飾りも、信長様がくださった物が沢山ありますから。」
『そうか。』
そう言うと、コロンとあさひの膝に寝転んだ。
「信長様、お疲れなら褥に行きましょう。」
『今宵の俺の枕は、この膝だ。』
信長は、あさひの垂れ下がる髪をそっと撫でた。
そして首もとに手を伸ばし、自分の口元にあさひの顔を近づけた。
灯籠の淡い光が、あさひの顔を照らす。
ふわっと、あさひが笑う様に見えた。
「今宵は、抱き締めていてください。」
『やけに素直だな。』
ゆっくりと信長は起き上がると、あさひの手を引き、褥へと向かった。
※※※※※
信長の襟元を握り締め、胸元に顔を埋めたあさひの寝顔を、眺める信長は、家臣には決して見せないような穏やかな顔付きだった。
(心配するな、もうすぐ極上の幸せを貴様に与えるのだ。一生忘れない記念日とやらにしてやる。
俺の隣は生涯お前のもの。
この世も来世も、未来まで俺は貴様を離すつもりはない。)
『愛している』
そっと頭を撫で、信長は瞼を閉じた。
※※※
少しだけずれた歯車は、少しの何かで外れてしまえば
後は壊れていくだけ。
気付くのが遅れれば外れた歯車は、ころころと坂道をかけ降りる。
雨が今にも降り出しそうな安土の空は、静まりかえっていた。