第1章 真紅の彼方 ~前編~ 【織田信長】
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伝令によって軍の帰還が伝えられたのはそれから7日も経ってからだった。
当初10日の予定が大幅に伸びてしまったけれど、内紛も治まり一揆の発生も未然に防げたらしい。
兵に多少の負傷者は出たけれど、将たちは皆無事。
軍はこちらに帰還途中で、あと2日もすれば城に到着予定。
それを聞いたとき、心の底からほっとし笑みが溢れる。
「小娘、考えてることが漏れっぱなしだぞ。
少しは遠慮したらどうだ?こちらが恥ずかしくなる。」
光秀さんにからかわれるけれど、
「あいにく、光秀さんの意地悪発言には慣れましたから。」
わざとらしくツンとした顔をしてみた。
「ほう、『慣れた』とはこれ聞き捨てならない。
気持ち新たに、さらにいじめ倒さねばならないな」
光秀さんの瞳が獲物を見たようにきらりと光る。
「光秀さん、やめてください。莉乃をからかいすぎです。」
「お前、家康に化けた秀吉か?てっきり戦場に向かったと思ったが」
軽口の応戦も、皆が帰還を喜んでいることを表しているようだった。
___しかし、信長様達はそれから3日経っても戻っては来なかった。
既に縫い上がっていた信長様の夜着。
漆黒に染め上げられたその生地は、城下の反物屋さんに特別に仕入れをお願いしたもので、暖かいけれど軽い綿素材。
背面には鷹のシルエットを刺繍したものだった。
夜寝るときくらい、忙しさを忘れて趣味の鷹狩りのことでも考えて眠ってくれたら・・・
と考えたけれど、着てくれる方がいないのは淋しいものだ。
そうだ!と思い立ち、夜着を持って天主へ上がる。
留守を守る小姓さんに理由を話し、お部屋に入れてもらった。
衣桁(いこう)に夜着をかける。
疲れて帰ってきて・・・
この夜着が少しでも、信長様を暖めて癒してくれたら…
暖めて、で思い出した。
信長様から夜伽を命じられた晩のことを。
「俺の褥を暖めろ」だっけ。
天主の奥にある信長様の褥(しとね)を見る。
装飾や調度品は豪華だけれど、主のいない寂しさを放っていた。
「ん??」
褥の奥には、信長様がいつも着ていた夜着がかかっていた。
・・・まだ着れそうなのになぜ私に依頼を?