第3章 梔子の嫉妬 ~前編~ 【徳川家康】
____夕刻。
書庫で本を読んでいた私は、音もなく入ってきた光秀さんに気がつかなかった。
「小娘、精が出るな」
「あっ光秀さん。 入ってきたの気づきませんでした。」
「誰にも知られず行動するのは得意だからな。」
「光秀さんも本を探しに?」
「いや・・・お前が目的だ。」
「何かお話が?」
「お話、か。
それも良いが・・・俺はお前に違うことがしたい」
そう言って伸ばされた手が私のアゴのラインをすっと撫でたかと思うと、クイっと上を向かされる。
「み、光秀さん、何を」
うわずった声で目を見開いたとき、突然書庫の扉が開いた。
「何やってるんですか」
家康が静かに、だけれども怒りをたたえた翡翠の瞳と共に入ってくる。
「…その声は家康か。
何をしているか分からぬ歳でもなかろう? 今は遠慮しろ」
光秀さんは私の顎を捉え目を見つめたまま、家康の方は一切見ずにぴしゃりと返事をした。
途端、家康らしくない歩みで近づいてきたと思ったら、さっと私の手を取って立たされる。
「莉乃は連れて行きますよ」
「遠慮しろと言ったのが聞こえなかったか?」
私は二人が対峙するのを、見ているしかなかった。
「聞こえませんでした。」
家康はそう言うと私を半ば引きづるようにして書庫から出る。
とてもとても怒っているような雰囲気だった。
「家康、痛いよ。離して」
「・・・・・・」
ずんずんと進む廊下。
すれ違う家臣の方々もいつもと雰囲気が違う家康の様子に、何事かと目を丸くしている。
___書庫からちらりと顔を出した光秀が、にやりと笑って二人の行く先を見ていた。
「予定通り、か。
これほどまでに分かりやすい奴だったとはな。
案外、素直ではないか。」
何かに納得したように頷きながら、そっと書庫から出て行く光秀だった。