第82章 誘惑
信長の手が、夜着の上から自身の昂りへと、そっと伸ばされたその時……………
「信長様………」
襖の向こうから突如として声がかかり、信長は、ハッとして手を止めた。
触れる寸前だった己の昂りは、緩く勃ち上がり夜着の前を僅かに膨らませている。
(はっ……愛しい女の姿を想像しただけで欲情するとは…俺も焼きが回ったか……)
自嘲気味に口の端を歪めていると、再び遠慮がちに呼びかける声が聞こえる。
その声に、声の主を思い浮かべた信長は、はぁ…っと小さく溜め息を吐いて、ひどく気怠げに身を起こした。
重い足取りで襖の前まで行くと、憂鬱な気持ちで襖を引き開ける。
「………このような時分に、何用か?」
自分でも思った以上にひどく冷たい声が出た。
襖の前で平伏する白い夜着姿の綾姫は、瞬間ビクリと震えるが、生来の気の強さを表すように、意思の強そうな目でしっかりと信長の顔を見据える。
「っ……夜伽を…今宵の閨のお相手を承りたく……」
固い表情に微かに震える声……緊張しているのだろう。
男も知らぬくせに、何ゆえ皆、俺に媚びを売るのか…そうまでして天下人の寵を得たいのか、織田と縁を結びたいのかと、無性に腹立たしくなり苛立ちがムクムクと腹の底から湧き上がる。
「夜伽など必要ない、下がれ」
冷たく突き放すように言い捨てると、背を向けて室内へ足を向ける。
「お待ち下さいっ…信長様っ!」
慌てて追い縋る綾姫を、信長は氷のように冷たく蔑んだ目で見ると憐れむように言う。
「己が家の為ならば、好きでもない男に初めての身を捧げるのか?はっ……殊勝なことだな」
「私は…貴方様をお慕いしておりますっ…信長様になら、この身を捧げられる、と」
「ほぅ…会ったばかりだというのに……随分と安っぽい身体だな」
「っ………」
悔しそうにキュッと唇を噛む様子に、苛立ちなのか、憐れみなのか、自分でも理解できない感情に苛まれる。
以前の俺ならば、こんな風に寄ってくる女とも簡単に一夜を共にした。
それこそ、遊女から公家の姫まで、一夜限りの欲望の相手には不自由したことはなかったし、互いに後腐れもなかった。
心までは許さぬ、身体だけの相手にも、男の欲は正直に反応したし、溜まったモノを発散できれば、それでよかったのだ。
愛がなくても女は抱ける。
朱里に出逢うまでは、そう思っていた。