第82章 誘惑
寺の者が用意をしてくれた夕餉は精進料理で、今宵は山菜を使ったお菜が多かった。
「っ…いつも屋敷では、苦手なものは出されないので……」
(随分と過保護に育てられたことだ。そんなことで、よくもこんな所に来られたものだな……さて、今から別のものを用意させる訳にもいかぬしな……残すのは、せっかく用意してくれた寺の者にも申し訳ない。何より、食べ物を粗末にはできん)
「はぁ…貸せ、俺が代わりに食ってやる。代わりに……これなら食べられるであろう?」
自らの膳の上にあった、手付かずの水菓子の皿を差し出してやると、驚いたように目を見張り、俺の顔と手元の皿を見比べている。
「えっ…あ、あの…」
「早くしろ、そのままだと何も食えぬままだぞ?」
「は、はい…あ、ありがとうございます、信長様」
戸惑いながらも嬉しそうに、皿を交換する。
(まったく、世話の焼ける……ん?)
公家の姫君の甘やかされぶりに呆れつつ食事を再開した信長の目に、少し離れた所に座る光秀がニヤニヤと笑っている姿が入ってくる。
目が合うと、チラリと意味深に視線を流して雪姫の方を見るので、信長もまた、つられたようにそちらへ目線をやると……
蕩けるような熱の籠った目で自分を見つめる雪姫と、目が合ってしまった。
目が合った瞬間、顔を赤らめて慌てて俯かれ、何とも気まずい雰囲気が漂う。
(っ…これは…また面倒なことに……)
その後、何とも言えない雰囲気の中で黙々と食事を進めた信長であったが、味など分からず食べ終えると、綾姫が次々に話しかけてくるのを適当にあしらって、早々に席を立ったのだった。
一方、雪姫の方は信長に話しかけることもできぬまま‥……
(信長様…冷たくて恐ろしい人だと思ってたのに、あんなにお優しい方だなんて思わなかったわ。
さりげなく気遣って下さって…なんて素敵な方なんだろう)
父に命じられ、よく分からぬまま来てみれば、気位の高そうな九条家の姫君がいて、最初から居た堪れなかった。
おまけに、魔王と呼ばれるだけあって、初めてお会いした信長様は眼光も鋭く、威圧的で冷たい雰囲気が漂っていて、出会い頭から拒絶的であり、話しかけるどころではなかった。
このままでは、側室になど到底なれそうもなく、何より信長様が恐ろしかった。
それなのに……