第81章 雨後
雨上がり、本丸御殿の庭に出て、色付き始めた紫陽花の花弁にそっと触れる。
青々とした葉っぱは雨滴に濡れ、陽の光を浴びてキラキラと輝きを放っていた。
濡れた青紫色の花弁は、指先が触れた瞬間に、ぴちょんと雫を跳ねさせる。
雨後の草木はしっとりと濡れ、生い茂る青葉の色合いも、より鮮やかさを増している。
雨が全てを洗い流したかのように、雨上がりの空気は澄んでいる。
(草木にとっては恵みの雨…けれど、それも度が過ぎれば、地を、民を、苦しめる痛みの雨となる)
降り続いた雨による被害は、大きいものから小さいものまで様々あったようで、秀吉さんたちは次々に入ってくる報告への対応に追われていた。
信長様ご自身も、被害が大きかった村に直接視察に赴かれ、復旧の指揮を取られるということで、今朝早くに城を出ておられた。
梅雨時の天気は変わりやすく、今は久しぶりの晴れ間が見えているが、この季節、いつ雨雲が姿を表してもおかしくはない。
長雨で、知らず知らずのうちに地盤が緩んでいるところもあるだろう。
またひと雨くれば、新たな被害が出るかもしれない。
今この時も、家を失くし、田畑を流されて苦しむ民たちの姿が目に浮かび、自然の恐ろしさを感じるとともに、何も出来ない自分が歯痒い。
身重の身体でなければ、信長様と共に行き、炊き出しや怪我人の手当てなど、手伝えることもあったのに……
『案ずるな、貴様は城で待っておればよい。領民の生活を整え、荒れた田畑を元通りにし、堤防を直して川を整備する。さすれば石高が上がる。全て俺の益になることだ。此度のことは、俺が自ら指揮を取る価値がある』
信長様はそんな風に仰って、いつものように自信たっぷりに笑って出て行かれた。
言い方は相変わらず冷たく聞こえるけれど、信長様は本当は、民たちのことを誰よりも案じておられるのだ。
そのささやかな生活を守りたい、と心からそう思っておられることを、私は知っている。
だからこそ、そんな信長様の力になりたかった。
「父上様のお仕事が無事に進むことを、一緒に祈ろうね…」
少し膨らみ始めた腹部をそっと摩りながら、私はお腹の中の子に話しかけたのだった。