第80章 魔王と虎
「ふぅ…ちょっと疲れちゃったな…」
お腹に御子がいるせいなのか、今日は何となく疲れやすかった。
城下を少し歩いただけだが、もう息が上がっている。
運ばれてきた甘味を一口、口に入れると、上品な甘さが広がって、疲れた身体が癒されるようだった。
(んーっ、美味しいっ…信長様と一緒に食べたかったけど、お仕事だもの、仕方ないか…)
お仕事が優先だから、と物分かりの良いフリをしつつも、やはり少し寂しい気持ちもあったのだ。
久しぶりの逢瀬、本音を言えば今日は一日、信長様を独り占めしたかった。
(我が儘言って、困らせるわけにはいかないから…っ…我慢しなくちゃ…)
信長様が歩いて行かれた方向を見つめながら、しばらく一人ぼんやりとお茶を飲んでいると……
「やぁ、そこの美しい天女はお一人かな?」
(…………えっ?)
ハッとして声のした方へ振り向くと、そこには大柄でガッシリとした体躯の、見知らぬ男性が、甘味のように甘く微笑みながら立っていた。
明るい茶色の髪に端正な顔立ち
口元に浮かぶ笑みは、大人の余裕を感じさせる
はだけた着物の袷からチラリと覗く、鍛えられた筋肉質な胸板
(だ、誰?この色気たっぷりの殿方は……)
思わず目を逸らせなくなるほどに、その男性は艶めかしくて、大人の色気に満ち溢れていた。
「こんなに美しい天女が一人でお茶してるなんて、あり得ないな。君が天に帰ってしまう前に、俺に攫わせてくれるかい?」
聞いたこともないような甘い口説き文句をサラッと口にすると、流れるような所作で、当たり前のように私の隣に座った男性は、これまた自然な動作で、さっと私の手を取ると、チュッと手の甲に口付けたのだ。
「えっ!?…あ、あの離して下さい…」
(何なの、この人??私、口説かれてる?すごく強引…だけど、甘いっ…)
「あぁ…君は声まで美しいんだな。その美しい声が枯れてしまうぐらい、君を啼かせてみたいな」
「な、何を…言って…」
サラリと艶っぽい流し目を向けられてしまうと、私は動揺して、その手を振り払うことも出来なかった。
それでも、ここで何とか拒絶しないと、と思い、声を上げる。
「やっ…離してっ…私、人を待ってるんです!」
「なんだって?君のような美しい人を、一人で待たせるなんて信じられないな…そいつは一体、どこの『うつけ』だ?」