第79章 新命
軍議が終わると早々に広間を出た俺は、その足で朱里の部屋へと向かった。
いつもなら秀吉と共にそのまま政務へ入るのだが、しれっと執務室とは逆の方向へ向かう俺を、秀吉は珍しく引き止めなかった。
(くっ…猿にまで気を遣われるとはな…)
秀吉の気遣いには、些か苦々しい気がしないでもなかったが、朱里が足りていないのも、また事実であり……
(今日は急ぎの政務もなかったはずだ。少し顔を見るぐらい、いいだろう)
早る足でズカズカと廊下を進んでいくと、朱里の自室が見えてきて………
(…………ん?あれは………)
部屋の前で、戸惑ったように立ち尽くし、襖に手を掛けようか否かと逡巡する、小さな後ろ姿……
「っ…結華っ!」
呼びかけに、ビクッと小さな身体を震わせて、ゆっくりとこちらへ振り向いたのは、小さな可愛い娘だった。
「っ…あっ…父上……」
振り向いたその顔は、俺の目の前で、戸惑ったように、今にも泣き出しそうに歪んでいく。
「如何した?母上に会いにきたのか?」
思いがけない反応をする娘を怪訝に思いながら、傍に近寄ってみると、結華はその場に立ち竦み、きゅっと唇を固く引き結んで何かに堪えるような顔をしている。
その様子を訝しく思いながらも、俺は結華の目線に合わせるようにその場にしゃがみ込み、再度問いかける。
無意識に、先程よりも優し気な声音になっていた。
「何かあったのか?父も母上に会いに来たのだ。一緒に行こう」
「父上っ…あのぅ…私は…」
結華は何か言いかけるが、言い淀んで、そのまま黙ってしまう。
子供らしからぬ、その悩ましげな様子が気になって、そっとその小さな手を握る。
子が母に会うのを逡巡するなど、何か余程の理由があるのだろう。
理由も聞かず、このまま放っておく訳にはいかない。
「………少し父上と話そうか…あぁ、久しぶりに囲碁をするのもよいな。結華はこの頃、囲碁が随分と強くなった、と三成が褒めておったぞ。父上にも見せてくれ。………さあ、行くぞ、結華」
「………あっ、はい……」
握った手を軽く引くと、意外にも、すんなりとついてくる。
愛らしい娘の手を引きながら、俺の足はそのまま天主へと向かったのだった。