第77章 別離
信長様と二人で、母上の部屋へ続く廊下を進む。
近づくにつれ、廊下の先からザワザワと騒々しい気配がしていて、落ち着かなかった。
侍女たちが、入れ替わり立ち替わり、忙しなく出入りしている。
「朱里っ!」
入り口に立つとすぐ、私の姿に気が付いた高政が駆け寄ってくる。
「信長様もご一緒でしたか……良かった、間に合って。朱里、早く伯母上のところへ…もう、あまり刻がないかもしれない……」
「っ…うん…」
返事をしたものの、足が、竦んだように動かない。
早く母上のお傍に行かなくちゃ……頭の中では分かっているのに、一歩も前へ踏み出せず…それがまた焦りを誘う。
「朱里?」
部屋の入り口で立ち止まってしまった私に、高政は怪訝そうな顔をする。
(は、早く母上のところへ……っ…あっ……)
焦る私の背中に、そっと添えられた、大きな手
ただ触れられているだけなのに…心が落ち着く
「っ…信長様っ…」
「ん……………」
多くは語られなくても、私を支えようとしてくれていることが伝わってきて……嬉しかった。
「母上っ…!」
はぁはぁと荒い呼吸を繰り返している母の枕元に駆け寄り、その手をきゅっと握り締める。
耳元で何度も呼びかけるが、既に意識がはっきりしない母が呼びかけに答えることは難しいようだった。
それでも…呼びかけずにはいられなかった。
(母上っ…私、お傍にいるよ…父上も、みんなも、信長様もいるよ)
「……ぁっ…しゅりっ…」
「!?母上っ!朱里はここにおりまするっ…」
「しゅりっ…ぁっ…」
焦点の定まらぬ瞳が揺れている。
強く手を握って、すぐ近くで何度も何度も呼びかけると…母の口元に一瞬穏やかな微笑みが浮かんだような気がした。
「母上っ…」
握り締めた母の手から、力が抜けていく感触をゆっくりと感じながらも、私はその手を離すことができなかった。
母の枕元に座ったまま、少しずつ冷たくなっていく母の手を、ただ黙って握り締めた。
母が遠くへ行ってしまわぬように………
その温もりが消えてしまわないように………
今はもう叶わぬこととは知りつつも、ただそれだけを願いながら…私は母の手を握り続けていた。