第77章 別離
それからまた数日経ち……
その日は朝から、母の容態が思わしくなく、いよいよ意識も朦朧となり、呼びかけに反応することも難しくなっていた。
「今宵が山場かと…お覚悟のほどを……」
脈を診ていた御典医が重々しく告げるのを聞いても、まるで他人事のようにしか、頭に入ってこなかった。
日に日に弱っていく母を、この数日間傍らで見ていてもなお、この世から母がいなくなる、という実感がまるで湧いてこなかったのだ。
何も考えられなくなり、ふらふらと部屋を出た私は、また一人、庭に出てぼんやりと桜の木を眺めていた。
もうすっかり花が散り、青々と生い茂る緑の葉が風に揺れている。
さあっと吹き流れる春の柔らかな風に髪をあおられながらも、桜の木に近づくと、その立派な幹に手を当ててみる。
「っ………!」
込み上げる感情を抑えきれず、ぐっと唇を噛み締める。
自分が今、どんな顔をしているのか、どんな顔をすればいいのか…分からなかった。
戦で傷を負い、治療の甲斐なく亡くなっていった家臣たち。
病や貧しさによる飢えで亡くなる民たち。
救えなかった、たくさんの生命(いのち)
これまで多くの人の死を見てきた。
けれど……身近な家族の死に直面するのはおそらく初めてだ。
何も分からぬままに小田原を離れ、妻となり、母となり……初めて知った母上の苦労と、その深い愛情。
遠く離れていても、いつも私を案じてくれていた。
離れていても、母と私は繋がっているのだと、心のどこかで安心していた。
「っ…母上っ…」
怖かった。
哀しい、淋しい、辛い…色々な感情が、ぐちゃぐちゃに混ざり合って心を乱す。
母を喪うのが、私はただ怖かったのだ。