第77章 別離
「……………う、うぅ…はぁ…」
荒々しく息を吐く母の声に、ハッとして顔を覗き込むと、険しく閉ざされた目蓋が薄らと開いていた。
焦点が定まらぬ瞳が、頼りなげに揺れている。
「っ…母上っ!」
「…………ん…」
「母上っ…朱里です!私、帰ってきたのですよ…母上っ…」
溢れる感情のまま、母上の手を握り、その耳元で告げると、ぼんやりとしていた母の瞳が、見る見るうちに生気を取り戻していく。
「………朱里…?あっ…あぁ…朱里、なの?」
「はいっ…母上っ…私、っ…私……」
「朱里っ…あぁ…よく顔を見せて…あぁ…」
「っ…母上っ…」
それ以上は互いに言葉にならず、ただ名を呼び合うばかりだった。
固く握り締めた母の手を、自身の頬にそっと当てると、母は嬉しそうに微笑んだ。
その穏やかな笑顔を見ただけで、自然と込み上げてくるものがあり、熱くなった目頭から涙が溢れないようにと、私は必死で堪えたのだった。
それから毎日、私は傍らで母を見守り続けた。
日に日に弱々しくなっていく母を間近で見ることは精神的に辛くもあったが、それでも、傍にいて少しでも私に出来ることをしてあげたかった。
信長様は今、家康とともに、各国へ視察に回られている。
今は、駿河、遠江、三河、と家康の治める国を順番に回っておられるようだ。
信長様は、滞在先から何度も文を下さり、文には私を案じる言葉がいくつも書かれてあった。
紡がれる言葉の端々に愛情が溢れていて……離れていても、信長様を身近に感じられて心強かった。
「朱里、ここにいたのか?」
久しぶりに庭に出て、降り注ぐ暖かな春の陽射しに、ぼんやりとしていると、心配そうな顔をした高政に声を掛けられた。
外は春の陽気に満ち満ちていて、こんなにも穏やかなのに…私達の心は、暗く翳りを帯びていた。
「……高政っ…」
「………大丈夫か?……って、大丈夫なわけないか…ごめん…」
「っ…ごめん、私の方こそ…気を遣わせちゃってるよね…」
「いや、そんなことないけど…お前も疲れてるんじゃないか?看病ばっかりで、あんまり寝てないだろ?」
「ん…でも、少しでも長く母上の傍にいたいから…」
「朱里っ……」