第76章 優しい嘘
「申し上げます、奥方様っ…あ、あの、御館様が…」
慌てた様子の侍女が息を切らして駆けてきて、部屋の入り口で平伏する。
常とは違う、その異常な慌てぶりに何事かと胸が騒いで仕方がなかったが、冷静さを保とうと意識して声を掛けた。
「っ…どうしたの?」
「あ、あの…お、御館様が…ご城下で刺客に襲われて…お怪我をなされたと知らせが…」
「っ…えっ……」
(っ…刺客って…誰に?何で…?っ…それよりも…)
「の、信長様は…ご無事なのよね??お怪我って…どこを?傷は?深いの??」
冷静さを保とうと思っていたのに、無意識に声も大きくなり、問い詰めるような口調になってしまう。
「そ、それが…詳しいことはまだ何も分かっておりませんで…」
侍女は今にも泣き出しそうな顔になる。
(っ…いけない、私が取り乱しては、皆が不安になってしまう)
「ごめんね、大きな声を出して……信長様は今どちらに?もう城へ戻っておられるの?」
怯えたような表情をする侍女に申し訳なく思いながらも、一刻も早く信長様の元へ行かなくては、という想いが強くなっていた。
「は、はい…戻られてすぐ天主へ入られたと……あっ、奥方様っ?」
侍女の言葉を最後まで聞かずに、私は部屋を飛び出していた。
廊下を走り、急ぐ足は、一直線に天主へと向かっていた。
着物の裾が乱れるのも構わず、天主へと続く階段を駆け上がる。
先を急ぐ不安な心には、長い階段は果てしなく続くかのように感じてしまい、ともすれば、襲い来る焦燥感に打ちのめされそうになる。
(信長様がお怪我をされるなんて……)
命を狙われることが日常茶飯事の信長様は、これまでにも城下で何度も刺客に襲われておられるが、怪我などされたことはなかった。
信長様はお強いから、相手が余程の手練れの刺客でない限り、信長様に敵うはずがなく、容易く返り討ちになさるはずだった。
(刺客って、もしかして、佐久間殿か林殿の…?
それならば、信長様も油断なさってたのかもしれない…だからお怪我を……?あぁ…お怪我って、どうして…)
悪い想像ばかりが頭の中をぐるぐると回り、階段を登る足はまるで自分のものではないかのようにふわふわとして実感がなく、甚だ覚束ないものだった。