第73章 恋文
信長様は苦虫を噛み潰したような表情で顔を顰めると、
「そうだな…あの男が貴様の肌に触れたことは許しがたいが…。
あの男の店は京でも由緒ある大店で、内裏への出入りも許されている有力な商人だが……それだけだ。
商人ごときが、俺をどうにかしようなどと、思い上がりも甚だしい。
たかが商人の讒言ごときで揺らぐほど、京での俺の立場は軽いものではないぞ?」
「っ…ごめんなさい…私、何も知らなくて…浅はかなことをしてしまいました。妻なのに、貴方に迷惑ばかりかけて…」
まんまと男の口車に乗せられて、信長様に恥をかかせてしまうところだった。
本当に、私は…信長様の正室としてまだまだだ。
すっかり落ち込んで下を向く私の頭を、大きな手が優しくぽんぽんと撫でる。
痛いぐらいにぎゅうっと身体を抱き締められた。
「っ…信長様?」
「朱里…貴様が無事でよかった。俺のものである、この身体…二度と危うくするでないぞ」
耳元で囁かれた信長様の声は、この上なく甘く優しげで、私の心をトロリと蕩けさせたのだった。
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すっかり満たされた心地になり、着替えて寝所を出ると、文机の上には書きかけの書簡が広げられたままだった。
「お仕事、途中だったんですね…ごめんなさい」
「ん?あぁ…文を書いていた……恋文を、な」
ニヤッと私を見て悪戯っぽく口の端を上げる信長様。
「は?恋文…ええっ?恋文?何で??」
(いや、何でというか…誰に??)
見れば確かに普通の文とは違う、上品そうな透かし柄の入った和紙
遠目からなので内容は見えないが、流麗な美しい信長様の筆使い
「あ、あのぅ…恋文って…誰に?」
恐る恐る聞いてみると、心底呆れた顔で溜め息を吐かれる。
「はぁ…貴様への恋文に決まっておろうが…他に誰がおる?」
「わ、私に? 信長様が、私に恋文を? ええっ?嘘っ!」
「くっ…そんなに驚く奴があるか…っ…たまにはいいだろう?」
ふいっ、と横を向かれた信長様の頬が、心なしか赤い。
「たまには、って…初めてですよね?私に恋文…」
「…は? 阿呆っ、何度か送ったことがあるだろうが…戦場からとか京から、とか…」
「いやいや、あれは近況報告みたいなものじゃないですかっ。
恋文っていうのは、なんていうか、こう熱烈な愛の言葉とか……っ…きゃっ!」