第73章 恋文
着物に合わせる小物類を選ぶため、再び反物屋を訪れた私は、店の暖簾をくぐった瞬間、思わず深い溜め息を吐いてしまった。
「朱里様、今日は小物選びですね。また、良き品々を京から取り寄せておりますよ」
「は、はぁ…」
(やっぱりまた、この人……)
警戒心から身体を固くした私に構わずに、スッと傍に寄って来た男は、私の耳元近くで小さく囁いた。
「この後、城へお戻りになる前に、茶屋までご一緒して下さいますかな?茶屋で少し休憩致しましょう」
「えっ?そ、それは……」
「先日私が申し上げたこと、もうお忘れですか?信長様が京でお困りになっても宜しいので?
……一度だけ、私と逢瀬をして下さればよいのですよ…一度だけ、ね?」
「っ……」
(どうしよう…こんな人と逢瀬なんて…でも、一度だけなら…一度だけ一緒にお茶を飲む、それだけなら、私が我慢すれば…信長様にご迷惑をかけずに済む……)
すぐに断れずに思い悩む私を見て、男が勝ち誇ったように口元に厭らしい笑みを浮かべていたのを、この時、私はまだ分かっていなかった。
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満足のいく小物類を選べて、今日の目的を果たした私は、反物屋のご主人にお礼を言って店を後にする。
店先で一旦立ち止まると、後ろに付き従っていた千代に、意を決して告げる。
「千代、悪いけど先にお城へ戻ってくれる?」
「は? な、何を仰るんです、姫様っ!姫様をお一人にして、先に戻れるわけがございませんっ」
「朱里様は私がお送り致しますから、ご安心下さい。
さぁ、参りましょうか、朱里様?」
「……………」
「ひ、姫様っ…」
男に半ば強引に腕を引かれて、引き摺られるように歩き出した私の背中に、千代の戸惑った声が掛けられるが……私は振り向けなかった。
(ごめんね、千代…心配かけてしまって…でも、もう、こうするしか…)