第73章 恋文
城へ戻ってからも、男に言われた言葉が頭から離れず、自分でもどうしたらよいのか分からなかった。
「……朱里?」
「………えっ…あっ…信長さま…?」
いつの間にかぼんやりとして俯いていたようだ、呼びかけられた声にハッとして顔を上げると、空の盃を手にしたまま、気遣わしげな目で私を見つめる信長様と目が合った。
「す、すみません…気が付かなくて…どうぞ」
慌てて銚子を取り上げると、信長様の持つ盃に酒を注ぎ入れる。
信長様はそれを無言で受けながらも、目線は私から逸らそうとはなさらない。
心の内を全て見透かしてしまわれそうなほどに真っ直ぐに向けられている視線が痛くて、手元ばかりを見てしまい、お顔を見れなかった。
「……どうかしたのか?」
「い、いえ、何も……」
あからさまに不自然な態度だと思いつつも、なんと言ってよいか分からず、それ以上言葉を繋げない。
「今日は城下へ行っていたのだろう?気に入った反物は見つかったか?」
信長様はクイっと一気に盃を煽ってから、私に向けていた視線を離してさり気なくお聞きになる。
私は、再び空いた盃に酒を満たしながら、努めて明るい調子で答えた。
「あっ、はい…京から仕入れて下さった見事なものばかりで目移りしてしまいましたけど、反物は決めてきましたよ。
後は、帯飾りなどの小物を選んで…髪飾りなどの装飾品も少し新調しようかと……」
「ふっ…少し、と言わず、気に入ったものがあれば遠慮せず買い求めるがよい。結華に似合いそうなものは全て買ってやる」
「や、もうっ、信長様ったら…ダメですよ…ふふ」
過保護な発言を堂々となさる姿を見ていると可笑しくて、思わず口元が綻んでしまう。
「何度も城下へ行かずともよいように、城へ商人を呼んでやろうか?」
「えっ、あっ…そうですね…」
(後は小物を選ぶだけだから、来てもらえれば助かるけど…でも、もしあの人も一緒に来たら…どうしよう)
無遠慮なあの男を城内に招き入れるのが、少し怖かった。
「あの、でも、後は小物を選ぶだけですから…大丈夫です」
「……そうか…貴様がよいなら構わんが」
信長様に変な風に誤解されたくない、心配を掛けられない……そんな私の浅はかな考えが、更にこの問題を複雑にしてしまうことになるなんて…この時の私には思いも寄らなかったのだ。