第73章 恋文
「あの…どこかでお会いしました?」
(初対面なのに、名前で呼ばれるなんて…)
「奥方様」と他人行儀に呼ばれるよりも、親しみを込めて名前を呼んでくれる方が嬉しかったし、普段ならそんなことには拘らなかった。
けれど…目の前のこの人が呼ぶと、何か不自然さを感じてしまうのは何故だろうか。
「いえ、お会いするのは初めてです。ですが、京でも美しい天女の噂は有名ですよ。本当に…こんなにお美しいとは…」
熱っぽい目で見つめられ、身体が触れそうな距離まで、にじり寄られてしまう。
(や、やだ…何だろう、この人…)
京から反物が届いたら見せてもらう、ということでその日は反物屋を後にしたが……次の日から、私へ、件の恋文が届くようになったのだ。
「姫様…これ、ほとんど毎日ではないですか?」
「ええ…最初に届いた時にお断りしたのよ。でも…全然聞く気がないみたいで……」
初めて届いた文には、『美しい、一目で好きになった、一度でいいから逢瀬を…』と愛の言葉が書き連ねてあった。
それには丁重にお断りの返事を書いたのだ。
(私を信長様の妻だと知っているはずなのに…城へ恋文を送りつけるなんて…)
きっぱり断ってそれでお終いだと、そう思っていたのに…予想に反して次の日から更に熱烈な恋文が、ほぼ毎日届くようになってしまったのだ。
なまじ返事を書いたのが良くなかったのか…拒絶の意が伝わらなかったのかと、その後の文には返事は書かず、無視を貫いているのだが、相手は一向に諦めないのだ。
「あの、姫様…信長様に一度ご相談なされては?」
男の私への異常なまでの執着心に、千代は懸念の色を隠せないらしく、心配そうに私の顔色を窺っている。
「信長様には心配かけたくないんだけどな……ただでさえ、今はお忙しいみたいだし」
「ですが…近々また反物屋に参られますのでしょう?
顔を合わせたら、何かされたりしないでしょうか…千代は姫様が心配で……」
「ありがとう…ごめんね、心配かけて。そうだね…信長様に相談してみるよ」
千代に心配をかけまいと、微笑んでみせるが、心の中の不安な気持ちが隠せずに曖昧な笑みにしかならなかった。