第73章 恋文
「っ…あの、姫様…『また』ですよ…」
「っ……そう、困ったわね。どうしたものかしら…」
千代は、恐る恐るといった様子で朱里に一通の文を差し出した。
それを、はぁ…っと小さな溜め息を溢しながら受け取った朱里は、『朱里様へ』と、流れるような達筆で書かれた宛名を見て、小さく顔を顰める。
何度か見て覚えてしまったその筆跡と、文に焚き染められた上品な香の香り
表書きを外し、中の文を取り出すと、更に香りは強くなる。
嫌いな香りではないけれど……強い香りは、相手の押しの強さを物語っているようで息が詰まる気がした。
透かし模様が入った高級そうな和紙に書かれたこの文……それは、私への『恋文』だった。
それは、堺への旅から戻ってしばらく経った日のことだった。
その日私は、千代と二人で城下の反物屋を訪れていた。
目的は、結華の帯解きの儀の着物の準備を相談するため。
この日、信長様は一緒ではなかった。
ご政務がお忙しく、暫くの間はどうしても時間が取れないということで、珍しく私一人で城下へ下りる許可を下さったのだ。
それは、私への束縛が過ぎる、という民達の噂を信長様なりに気にされてのことだったのかもしれない。
「奥方様、わざわざお越し頂きありがとうございます。
結華姫様の帯解きのお衣装ですか! それはおめでとうございます!」
「ありがとう。色々相談に乗って下さいね」
京から取り寄せたという見事な織りの反物をいくつも見せて貰いながら、千代と二人であれやこれやと話をしていると、奥から出てきた男性が反物屋のご主人に話し掛けてきた。
ご主人と話をしながらも、チラチラと顔を見られて、何だか居心地が悪い。
(……誰だろう…すごく見られてるんだけど…知り合いじゃない、よね?)
商人仲間なのだろうか、反物屋のご主人とその男性は親しげに商売の話をしているようだ。
「奥方様、こちらはうちが仕入れをしている京の反物問屋の若旦那です。結華様のお衣装ですが、こちらにお願いして、京から選りすぐりの反物を仕入れますゆえ、お好みの柄など、仰って下さいませ」
「ありがとう…あの、よろしくお願いします」
「貴女が信長様の……噂以上にお美しい方ですな。
朱里様、こちらこそよろしくお願い致します」
(っ…えっ?何で私の名前を……)