第72章 淡雪の恋
「ありがとうございましたっ!」
稽古を終えた新九郎くんは、額に汗を掻きながらも満足そうな笑みを浮かべていた。
「新九郎さま、お疲れ様でした」
「!?」
信長様の汗ひとつ浮いていない涼しい顔が、新九郎くんに手拭いを差し出している結華を見た途端に、何とも言えない複雑な表情に変わったのが可笑しくて、思わず頬が緩んでしまう。
「朱里、貴様…どういうつもりだ…笑い事ではないぞ」
「だ、だって、信長様、そんなピリピリしなくても…。
仲が良くて、微笑ましくていいじゃないですか…」
「くっ…いいわけがなかろうがっ、まったく…」
私が差し出した手拭いを引ったくるようにして受け取った信長様は、チラチラと二人の様子を窺っておられる。
(もぅ…信長様ったら過保護過ぎ……って、過保護な人がもう一人いたっ!)
視界の端に偶然入った秀吉さんが、結華と新九郎くんを交互に見遣りながらあたふたとしているのを見てしまった私は、心の中で深く溜め息を吐いたのだった。
稽古を終えて、今宵の宿へと戻る二人を城門まで見送ることになり………それまでずっと黙ったままだった新九郎くんは、意を決したように口を開いた。
「あ、あのっ…信長様、俺をしばらくの間、お城に置いて頂けませんか?っ…もっと、剣術や政のことなどを、信長様や武将の方々から学びたいのです。お願いしますっ!」
「こ、こら、新九郎、いきなり何を言い出すのだ…ご迷惑だぞ」
予想もしていなかったであろう発言に、彌木殿は慌てて新九郎くんを諭している。
「父上っ、お願いしますっ…私は…信長様のような武将になりたいのです」
「っ…新九郎、お前…」
真剣な表情で訴える息子を前に、どうしたものかと思案する彌木殿に、黙って聞いていた信長様が声を掛ける。
「彌木、貴様がよいなら、俺は構わん。新九郎を預かってやる」
「そんな…ご迷惑では?大坂城で武者修行ができるなんて、有り難いことですが…」
「子供が一人増えたところで、どうということはない。
新九郎、しっかりと学ぶがよい」
「っ…はいっ!ありがとうございますっ!」
こうして、ひと月後に迎えに来るという約束で、新九郎くんは城内に部屋を与えられ、信長様の下で武者修行をすることになったのだった。