第72章 淡雪の恋
「わぁ〜、大きな鯉がたくさんいるんだねっ!」
「うんっ!あっ、ほら、あの子、この中で一番大きな鯉なんだよっ!」
「わっ、危ないよっ!」
興奮して身を乗り出さんばかりに前屈みになる結華の手を、新九郎は思わず掴んで引き寄せていた。
「っ…ひゃっ!」
「わわっ、ご、ごめんっ…」
お互いに顔を見合わせて笑い合うと、スイスイと優雅に泳ぐ鯉の姿を飽きることなく、並んでじっと見つめ続けた。
四歳差とはいえ子供同士、打ち解けるのは早かったらしく、二人はあっという間に仲良くなったようだった。
子供達が交流を深めている間に、大人達の間では、信長様が新九郎くんに剣術の稽古をつけてあげるという話が出来上がっていた。
信長様が、戦場以外で人前で剣術を披露されるなんて滅多にないことであり、稽古場で準備を始めていると、噂を聞きつけた秀吉さん達も集まってきた。
「御館様に稽古をつけてもらえるとは、新九郎は恵まれてるなっ」
「あの人が子供に稽古をつけてやるなんて…天から槍でも降るんじゃないですか?」
「おいおい家康、お前も子供の頃は、信長様にしごかれたくちじゃねぇのか?」
「っ…やめて下さい、政宗さん。思い出したくもない、人の過去を弄るのは」
「信長様は戦場でも容赦のない御方ですが、稽古でも手を抜かれることはないんでしょうね」
「くくっ…面白いことになってるようだな」
「おっ、始まるぞっ」
稽古場の中央で、片手で模擬刀を構えた信長様は余裕の表情でふらりと力を抜いた様子で立っている。
一方の新九郎くんは、緊張で体つきも表情も固いようだ。
「新九郎、肩の力を抜け…いつでもいいぞ、かかって来いっ」
「っ…はっ!」
真っ直ぐに構えたまま打ち下ろされた刀を、信長様は片手で易々と受け止めて、そのまま横に薙ぎ払う。
薙ぎ払われた新九郎くんは、体勢を崩しながらも、すぐにまた打ち掛かっていった。
「踏み込みが甘いっ…もっと腰を落とせ」
「っ…はいっ!」
信長様の剣捌きは流れるような美しさで、思わず見惚れてしまうほどだったけれど、新九郎くんは何度薙ぎ払われても果敢に向かっていった。
(稽古とはいえ、二人とも真剣だ…何だかまるで本当の親子みたい。信長様が男の子の父親になったら、こんな感じなのかな…)